「国益」考
先日、このブログ上で、「外交で最優先すべきは国益」と書いた。
主権者である国民を代表して外交に当たるのだから、国益を優先するのは当たり前とも言える。
しかし私はかなり躊躇してからこの言葉を文字にした。
なぜ躊躇したかについて明らかにしておきたいと思う。
結論から述べれば、現在の国際社会において、国益ばかりを優先していたのでは解決できない問題があまりにも多いということである。
飢餓問題や地球環境の破壊、戦争や紛争、難民問題、などなど、地球規模の重大事は国益優先では何も解決しない。
だからこそNGOやNPOの活動が期待されているのであるが、世界の国々がみな国益を優先したのでは秩序もなにもあったものではなかろう。
だから安易に「国益」という言葉を口にする政治家を信用できないのである。
もちろん国益は大事なのである。
国民が豊かに暮らすための糧なのだから。
しかしそこからもう一歩進んで、地球市民としての日本人の役割ということを考えたい。
こういうことを言うと思い切り反論してくる人がいる。
昔の私の職場の後輩で、親しくしていた男がいた。
東京へ来てからもメールなどで交流していたのだが、今の出版社に勤めたと聞いて絶交だと言い出した。
私は思想信条の違う人間とでも冗談を言って笑いあえる男である。
彼の度量の小ささを戒めた。
が、それ以来、連絡が途絶えた。
彼はメールでこんなことを言っていた。
アイデンティティの拠り所として考えられるのは国家が最大の単位であり、地球市民などという考え方はちゃんちゃらおかしいと。
私が、江戸時代の幕藩体制から脱却し海洋国家となった日本の歴史を引き合いに、地球市民論をぶったことに対する彼の反論である。
江戸時代の侍だって同じことを考えたであろう。
国家にしかアイデンティティを求められないなら、そいつは地球市民はおろか、国際人にもなりえない。
世界の中で地域統合が進んでいる。
地球市民化はとっくに進んでいるのである。
日本が取り残されないか心配ではある。
私は、地球国籍をとなえている者としてリス太郎さんの
地球市民には賛成です。人が、本当の意味でより良く生きていく
為に国益は必要だけど、現在ではそれが国同士での競争になって
しまっている。「地球人全員」が自然とよりよく生きるために各国が
互いに協力し合うべきなのに。。私のアイデンティティーの源は、
大地=地球と考えたいけれども、日本人として生まれたからなのか、
やはり日本の国に執着してしまう。それでも、日本だけでなく隣の国
や地球の裏側にある国の事も大切に考えたい。そして、自然や
動物も。そうすると、やはり地球全体を一つとして考える重要性に
気付かされる。これは私個人の意見ですが、それにはまず
「個人→家族→社会→国→地球」の順で、人としての人格が一番
の土台になってくる。なので、子供の学校教育、親子の関係が大切
に・・・。学校教育と親子関係に問題がないなら自然と素晴らしい社会が築け、平安な国家も築かれる。そこに地球市民は繋がってくる
のだと思うのですが、日本の今の学校教育と、家庭での教育、
に問題があれば日本が将来取り残されていくのは間違いないと思う。だって、そんな子供達はどう社会に接したらいいかわからない→どう
世界に接したらいいかわからない。
あ、こう見たらわかりやすいのかな。。
地球は、様々な国の集まりで出来ている。
国は、様々な社会から出来ている。
社会は、様々な家族から出来ている。
家族は、個人と個人の集まりで出来ている。
点と点が結ばれて線になるように、「点=個人」を大切にして
いかないといけないと思う。
by *Takako* (2006-09-13 15:44)
Takakoさんへ
全くその通りだと思います。コメントにナイスつけたいね。逆ナイスかな?草野仁さんが司会だったら「ナイスと逆ナイスで相殺して没収!」とか言うかな?(笑)
by リス太郎 (2006-09-15 04:28)