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温家宝首相来日に思う

最近の記事でアクセス数がダントツで多いのは『デンソー事件と温家宝首相来日の微妙な関係』である。
関連ワードの検索でも比較的上位でヒットするこの記事。
読んでくれている方の中には「オモシロクナイ」と感じておられる方も多いであろう。
しかし大事なのは、日中関係の大きな転換とそれを取り巻く国際情勢の認識である。
小泉の時代が終わり急接近した日本と中国。
安倍は自分の主義主張を曲げたわけではないが、もはや流れは変えられない。

温家宝首相(国務院総理)は予定どおりの日程を終え、13日に帰国した。
中国首相の来日は朱鎔基首相(当時)以来6年半ぶりである。
考えてみれば異常な事態である。
この空白を埋めるのはかなり時間がかかりそうだ。
小泉にはいくつもの罪があるが、この間の交渉凍結による経済的損失は計り知れない。

温家宝という人を初めて強く認識したのは1998年。
長江大洪水で大きな被害が出たとき、地質学の専門家である彼は雨と土砂にまみれながら陣頭指揮を執った。
日本の政治家が被災地に来るのとはずいぶん様子が違ったものだ。
2002年に胡錦濤が総書記(共産党トップ)となり、2003年には温家宝が国務院総理(行政トップ)となった。
中国は変わるなと思った。

温家宝首相は、胡錦濤国家主席、呉邦国全人代常務委員長に次ぐ党内序列第3位である。
しかし胡錦濤・温家宝体制と称されるように、ナンバー2と考えてもよい。
そんな温首相の来日は私にとって最大の関心事であった。
テレビのニュースを見たかったが、結局、ほとんど見れなかった。
新聞だけが頼りだが、必要十分だと思っている。
時間がなく日経と朝日しか読んでいない。

中国は今回の温首相来日で、反日に傾いた自国民の意識を変えようとした。
「傾いた」と書いたが、「中国政府自身の都合で傾かせた」という側面と、「まんまと利用された日本側(政府とメディア、一部の大衆)が傾かせた」という側面がある。
もちろん一番の原因は靖国参拝を繰り返す小泉純一郎である。

今回の会談のテーマは、エネルギー、環境、朝鮮半島の3つであると以前の記事で書いた。
しかしその本当の目的は、「経済協力」のための「友好」の確認だとも書いた。
首脳会談の骨子ではまず第一に「戦略的互恵関係の具体化」が謳われた。

「戦略的互恵関係」は去年10月に安倍が訪中したとき、日本側から提案したものだ。
しかし1998年、副主席だった胡錦濤が来日したとき、「戦略的パートナーシップ関係」を提案し、日本は断った経緯がある。

中国側は「温」という名前にかけて「氷を溶かす旅」と位置づけた。
しかしその一方、去年の安倍の訪中を「氷を割る旅」とし、安倍を立てている。
実はブッシュに背中を押されただけなんだが。

会談でせめぎあいがあったのは「台湾問題」と「拉致問題」である。
台湾の独立を認めないことの約束を迫る温家宝。
北朝鮮による拉致問題解決への協力を求める安倍晋三。

台湾問題が中国にとっていかに大事といえ、人道上の問題を交換条件に出す中国のやり方には抗議したい。
日本は国交がないとはいえ、台湾との関係をおろそかにはできない。
台湾の独立については「支持する」とも「支持しない」とも言えない。

佐々江賢一郎外務省アジア大洋州局長と武大偉外務次官の調整は会談までもつれ込んだらしい。
背に腹は換えられぬと思ったか、安倍は「支持しない」と明言し、温は「拉致」という言葉を用いて協力を約束した。
しかし共同プレス発表では、安倍の発言は削除され、温が用いた「拉致」の文言は「人道主義的関心」に置き換えられた。
外交とはよくわからんものである。

最大のヤマ場は中国要人として3人目という国会演説。
1983年の胡耀邦総書記、1985年の彭真全人代常務委員長以来だとか。
残念ながらどちらもまるで記憶にない。
中国中央テレビ(CCTV)が国会にカメラを持ち込み、中国全土に生中継した温首相の演説。
私が最も注目したのは、温首相が日本の政府開発援助(ODA)に対し謝意を述べたこと。

1972年、日中国交回復の年、中国は日本に対し戦争賠償を放棄している。
どうも中国人は日本の援助を戦争賠償の代わりと考えているフシが少なからずある。
そういった側面がないこともないが、本来は違うだろうというのが私の見解。

1972年、毛沢東と周恩来は戦争賠償の放棄を日中共同声明に盛り込んだ。
「戦争責任は一部の軍国主義者にあり、日本国民は我々と同じ被害者である」
これが中国側の見解であった。
この理屈で自国民を納得させたのである。

なぜ中国が首相や閣僚の靖国参拝に猛烈に抗議するかわかるだろう。
1972年のロジックが崩れたとき、内乱を誘発する可能性がある。
強く抗議しなければ示しがつかないのである。

だから日本の首相、閣僚は靖国に参拝してはいけない。
日中共同声明、日中平和友好条約は嘘だったのかということになる。
日本がここを正さない以上、ODAを戦争賠償の代わりと当たり前な顔をされても文句が言えない。
それが私には残念でならない。

ちなみに靖国神社にA級戦犯が合祀されたのは1978年。
日中平和友好条約締結の直後である。

1982年、教科書検定問題(侵略か進出か)で中国が公式抗議。
1985年、首相の中曽根康弘が靖国を公式参拝し中国で抗議デモ勃発。

今日の日中間の教科書問題や靖国参拝問題はここに起因する。
わかりきったことを言って申し訳ないが戦没者を供養することに抗議しているのではない。
A級戦犯が合祀されていることが問題なのである。

人間関係というものは損得勘定で成り立っている。
親子や夫婦といえども損得抜きには付き合えない。
人が2人以上集まれば利害関係が発生する。
それをどう調整するかはどのような人間関係を構築するかにかかっている。

国際関係も同じではなかろうか。
利害があって損得がある。
話し合いで解決できないのは子どもである。

商人はそういったことに長けている。
日中関係に限らないが、民間の経済活動によって日中関係は発展してきた。
視野の狭い一部の政治家やメディアに邪魔されたくないものである。


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