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寝屋川のおばあちゃんとよめはんの誕生日

昨日、4月28日はよめはんの43歳の誕生日でした。
自分のよめはんすら幸せにできない男。
それだけにはなりたくないですね。
ここんとこ毎日、よめはんの涙を見てる。
私は辛くて仕方ないんですが、こればっかりはどうしようもない。

彼女の母方の祖母が胃癌なんですが、先週末に血を吐きました。
急きょ、枚方の関西医大病院に入院しました。
関西医大病院は滝井のはずですが、枚方にもあるんだとか。
最近出来たようです。

おばあちゃんはもう100歳近いんですが意識はきわめてはっきりしてます。
寝屋川で長男、孫たちと暮らしています。
私が住んでいた守口の家から自転車で30分ぐらいで行けました。
なので月に一度は日曜日に遊びに行ってました。
よめはんはおばあちゃんが大好きなのです。

幼少時にブラジルから帰国し、岡山の笠岡市に育ったおばあちゃんは北木島に嫁ぎました。
やがて結婚相手のおじいちゃんが一族を引き連れて大阪へ出てくる。
北木島というのは墓石ぐらいしか産業がないのです。 (釣りが好きな人にはおすすめです)
大阪でいろんな商売に手をつけたようです。
地球上どこであれ、住みたい所に住むのは人間の権利だと思います。

このおじいちゃんというのが豪傑で、死んで15年近くなりますがいまだに語り草になっています。
おじいちゃんが死んだとき、うちのよめはんは通夜の会場から抜け出して車で私が住む寮へ来ました。
携帯電話などない時代でして、公衆電話から電話してきました。
車の中でなぐさめてやったのを覚えています。 ← 勘違いしないように。

つまりそれぐらい彼女にとって思いの深いおばあちゃんが、瀕死の状態にあるわけです。
昼間はよめはんのお母さんも含め、子どもたちが交代で世話をしているようです。
夜はおばあちゃんと同居してるヤンキー顔のキヨミちゃんが面倒見てます。

一昨日は「キヨミの携帯にかけておばあちゃんと話す」というので私もそばにいました。
よめはんは耳の遠いおばあちゃんに大きな声で、「誕生日やねんで。おめでとうゆうて」と繰り返してました。
やっと聞き取れたようで、「おめでとう」を言ってもらえたようです。
しかし電話を切ったあと、ボロボロと涙を流し、「これが最後や。最後のおめでとうなんや」。
男はこういうとき、どうすればよいのでしょう。
抱きしめて、「だいじょうぶや。きっとようなる」と言う以外に何かできるでしょうか。

おかげさまでおばあちゃんは小康状態にあります。
一昨日は私も少ししゃべったんですが、意外と元気そうでした。
男の声は特に聞き取りづらいらしく、多分私の言葉は聞き取れていません。
でも、「がんばって長生きする」と言うてました。
「もうじゅうぶん長生きやがな」
私のツッコミは聞き取れなかったはずです。


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もん

先日、特養施設に入った婆ちゃんは肺ガンです。煙草を吸ってもいないのに肺ガンです。でもその前に脳神経がダメになっているので、本来あるはずの痛みも、人より分からないみたいです。年末に脳梗塞を起こして半身がダメになりましたが、随分とリハビリに励んだのと、その入院先の看護師さんたちに恵まれて、少し動かせるようになりました。頭も胸も痛いみたいですが、痛みを訴える言葉すら、時々忘れます。大正女ですから「痛い」とあまり云いません。私が行くと笑いますが、帰ったその夜は私が来たことも忘れているそうです。それでいいのです。それが救いです。でも私は毎回、帰りの電車内で涙が止まりません。
by もん (2007-04-29 04:27) 

リス太郎

もんちゃんへ
間寛平さんの「じじい」という歌があります。この歌、歌詞をよく読むと考えさせられる。いくつかドキッとする部分があるんだけど、「鏡を見たら俺の顔だった」というのが印象的でね。人はみな老いていくんです。当たり前やけど。高齢化が進めば長生きできていいけど、悲しみや苦しみも増える。いかに分かち合えるかなんだけど、世の中には気の毒なお年寄りがあまりにも多い。私は学生時代、老人ホームや養護施設への落語の慰問に力を入れててね。今思えばもっとこんなことも出来た、あんなこともと悔やまれるんですよ。二十歳の自分には人間力があまりにも未熟だったんですね。笑わすことより大事なことがあるのに気づかなかった。
おばあさまの痛みが少しでも和らぎ、幸せでありますことをお祈りします。
by リス太郎 (2007-04-29 05:09) 

もん

>笑わすことより大事なことがあるのに気づかなかった。
今気づいているってことが、素晴らしいことで、意味あることです。
by もん (2007-04-29 06:07) 

リス太郎

でももう遅い。いや、これからでも慰問に行こうか。
by リス太郎 (2007-04-29 07:42) 

笑うとね 元気になるんですよ ほんとに
免疫力が高まるらしい 寿命ものびるらしい
なによりも最後まで愉快に生きることができるってシアワセだと思います
だから笑ってもらうって事もとてもいいことだと思うのです
うちのおばあちゃんも このあいだ99になりました 
いやもしかしたらもう100なのかもしれません
なかなか会えないけど もう会えないかも知れないけど
一番最後に会ったとき ああどんどん赤ちゃんにもどっている と思いました
記憶は更新されず どんどん後退している
でもその状態ですら 誰かに何かを教えてくれている
長く生きるということは それだけでやっぱりすごいことだと思います
by (2007-04-29 09:31) 

リス太郎

mompeli さんへ
うちのばあさんも完全に赤ん坊やで。ごはんばっかり食ってる。満腹神経がイカれてるみたい。もともとかもしれないけど。
笑うのはボケ防止になる。脳みそにドーパミンだかなんだかがあふれて元気になる。これは間違いないみたい。
ナイスありがとう。
by リス太郎 (2007-04-29 09:57) 

リス太郎

ゆゆちゃんへ
ナイスありがとう。なんかしゃべろうよ。
by リス太郎 (2007-04-29 09:58) 

めぎ

みなさんのおばあちゃん、長生きですよね。いいなあ。
私の祖父母はみな、私がまだ小学校のときから学生のときまでの間に亡くなってしまいました。
最後に逝った母方の祖母は、私がたまたま看取りました。
うちにいたんですけど、突然心臓発作が起きて、救急車で運ぶうちに亡くなったのです。
瞳孔が開いた瞬間をよく覚えています。
ああ眠れなくなりそう。
by めぎ (2007-04-29 10:18) 

リス太郎

めぎさんへ
そうですか。残念ですね。でも人が一生に食う米の量と飲む水の量は同じと古い人は言います。この言葉の本当の意味は知りませんが、長く生きるだけが幸せとは限らないという意味だと解釈しています。また、足ることを知れという教訓にも聞こえます。(後者が正解ですね、たぶん)
出来れば長生きしたいですが、いつ死んでも後悔しない、じたばたしない生き方をしたいです。(ぜったいじたばたするけど)
by リス太郎 (2007-04-29 10:38) 

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