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進化しつづけてきた古典落語 [大衆芸能]

現代人が共感できない噺はすべきでないと書きました。
その一方で、廓ばなしなど風俗を伝える噺や、伝統芸を継承することも必要だと書きました。
矛盾することを言っているのですが、もう少し自分の考えをまとめてみたいと思います。
結局のところ、矛盾しているのには変わらないのですが。

歌舞伎狂言を扱った噺というのが古典落語には多くあります。
江戸落語においても上方落語においても「芝居噺」と呼ばれます。
ちなみに上方では単に芝居がかっただけの噺は「芝居噺」とは言いません。
芝居が組み込まれた古典落語は、江戸でも上方でもかなりの数があります。

なぜかというと答えは簡単、みんな歌舞伎が大好きだったからです。
江戸時代から明治、大正にかけて、歌舞伎は庶民の何よりの娯楽だったようです。
現代の映画、トレンディードラマ、いや、ワイドショー的なニュースの役割も果たしていたようです。

話題になった歌舞伎のストーリーは誰もが知っている普遍的な常識であり、当時の落語家たちはこれを題材に噺を作ったわけです。
今で言えば流行りのドラマをパロディーにしたりというところですが、娯楽の多様化した現代では、「そのドラマ、見てない」とか言われかねません。
それにせっかく苦労して落語を完成させても、すぐに新しいドラマが始まることになります。

少なくとも江戸時代はそうじゃなかった。
のんびりしてたので長い時間の中で熟成され、継承され古典となった。

そういった噺を今の時代にすることは、最初から大きなハンディがあるわけです。
「さっきの噺、名作だって言うけど、何が面白いのかね?」となるのはそのためです。
現代人に受ける噺をしなければならない一方、伝統芸も継承しなければならない。

現代人が共感できる、登場人物に感情移入できる落語。
そして腹の皮がよじれるまで笑える落語。

もちろんそれだけが落語の魅力ではありません。
しかし面白くなくなってしまった古典はどんどん生まれ変わらせてほしい。
いま演られている古典落語が百年以上前からずっと同じであったわけではないのです。
上方では初代春團治が、江戸では初代円遊が、時代に合わなくなった古典をリメイクしています。

もとは同じであったろう演目が、江戸と上方で演じ方はもちろんストーリーも違ったりします。
上方から移植された多くの噺が、江戸っ子に受け入れられる落語に練り上げられました。

古典落語は工夫次第でいくらでも面白くなります。
どんどん進化してほしいものです。


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ゆゆ

子供たちには落語は理解しづらいようです。コトバがまずわからない。生まれたときから電話やらなにやら揃っていた彼女たちには、噺の時代背景やコトバがわからないので、面白くないらしいです。落語、面白いのにな。
by ゆゆ (2008-02-16 04:52) 

リス太郎

子どもにもわかる噺はなんぼでもあるよ。おすすめとしては『まんじゅうこわい』とか『子ほめ』とか。落語家は客に合わせて芸を変える。テレビ芸人と舞台芸人の違い。同じ演目でも子どもばっかり相手するときは当然ながら演り方は違う。子どもには難しいと思われる演目でもちょっとした工夫で子ども向きにできる。あと、落語というのはテレビに向かない芸なんや。テレビでは面白さがわからへん。まだラジオのほうがいい。全国まわってお寺とかでやってる落語家も多いから学校とかで呼んだらええねん。
by リス太郎 (2008-02-18 23:44) 

リス太郎

ぺりさんへ
ナイス有難うございます。
by リス太郎 (2008-03-07 06:18) 

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