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いざ芸能会へ 落語を演じるとき眼鏡をはずす理由 [大衆芸能]

その日は朝からいいお天気で小鳥のさえずりが聞こえてきそうな日和でした。
「いいお天気ですね」「ほんとにそうだよね」という会話が最近は成り立ちにくい。
「いいお天気ですね」などとうっかり言おうものなら、ギロリと睨まれる。
よく見るとでっかいマスクしてはる。

3月8日の土曜日は朝早くから起きて最後の通し稽古を2回。
電車の中で緊張をまぎらわすため、軽い文庫本など開いてみるも落ち着かない。
気がつくとぶつぶつとネタを繰っている。

あの日はいつになく緊張していました。
でもそれはいつものことなので特に気にしてはいませんでした。
高座へ上がる直前が最高に緊張するんですが、皆さんの前へ出てしゃべり始めれば可笑しいぐらい腹が据わる。

自分が人より「緊張しい」なのかよくわかりません。
他人がどれぐらい緊張するのかわからないし比較しにくい。

学生時代を思い出すといろんな人がいました。
灰皿に火のついた煙草があるのに新しい煙草に火をつけたり。
そういうタイプは「俺はあがってなんかないぞ」という顔をしながら、楽屋と舞台の袖を行ったり来たりする。
真っ青になってガチガチ震えてる人とかいたな。
ただ、偉いもんで舞台へ上がれば堂に入ってる。

自分の前の人の落語がサゲに近づくと否が応でも緊張は高まります。
手のひらに「人」と書いて3回飲めと言います。
こういうおまじないは信じてないと効かない。
へそ曲がりな私に効くはずがない。

客をカボチャやと思えとも言います。
これはある程度、効果があります。
ただ、カボチャがくすりとも笑わないと冷や汗が出ます。

でかいホールなんかで舞台にだけスポットライトが当たっている場合。
舞台から客席は真っ暗です。
お客さんの顔が見えないというのはすごく不安なんです。
真っ暗な中からどよどよどよっとうめき声が聞こえてくると、「あ、ちょっとウケたかな・・・」みたいな。

落語というのは、特に古典落語というのは眼鏡をかけてやっちゃいけないんです。
もちろん演者の考えで自由にしていいようにも思うんですが、まあ、昔から「ダメ」ということになってる。

理由は2つあり、ひとつには「江戸時代の話に眼鏡はおかしい」というもの。
扇子を煙管に見立てたり、手ぬぐいを焼き芋だと偽ってみたりするくせに、眼鏡はダメだという。
「想像の芸」なら眼鏡ぐらいいいじゃないかと思うのですが、ダメなもんはダメらしい。

私は強度の乱視と近眼で眼鏡をかけているのですが、落語を演るときは眼鏡をはずします。
古典であれ新作であれ眼鏡はかけません。
それは落語が眼鏡を「ダメ」というもうひとつの理由によります。

眼鏡をかけてると表情が伝わりにくい。
表情で伝える部分が多い芸なので眼鏡は不利である。
もちろん眼鏡をかけて落語を演じても表情がよく伝わる演者も数多くおられるのですが、私は律儀に「オキテ」を守ってます。

ただ、眼鏡をかけないことのデメリットも計り知れない。
お客さんの顔がぼんやりとしか見えないのは本当にやりにくい。
得意の客いじりも眼鏡をかけていない状態では怖くてできない。
人というのは笑いながらも内心ムッとしたりするもんです。
いじられたお客さんの不快感が察知できないとフォローもできないわけで、そういった意味では眼鏡ぐらい許してくれてもいいんじゃないかと思ったりもします。

(コンタクトレンズ買えよ)

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リス太郎

めぎさん、ゆゆちゃんへ
ナイスありがとうございます。
by リス太郎 (2008-03-17 22:56) 

mompeli

落語も芝居も舞台の上の息遣いを感じられるくらい
ちっちゃい小屋の方で見る方がスキです
by mompeli (2008-03-20 09:12) 

リス太郎

ぺりさんへ
お客さんは多いに越したことはないんだけど、落語という芸は狭い小屋のほうが向いてるよね。マイクもできれば使わないほうがいい。
by リス太郎 (2008-03-20 09:52) 

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