伊予西条ネコバス旅情 お通夜の準備の巻 [旅情シリーズ]
6月18日午後8時10分に浜松町からバスに乗った。
京浜急行バスと瀬戸内運輸が共同運行するパイレーツ号。
行きは瀬戸内運輸のバスで帰りは京浜急行のバスだった。
瀬戸内運輸のバスのほうがネコバスっぽかった。
いま、ふと思ったんだけど、わし、こんなことリスたろっとる場合やろか。
もっとここに書かなアカン重要なことがようけあるんちゃうか。
まあいいや。
翌朝19日午前6時半、ネコバスは東予(壬生川駅前)に着いた。
久しぶりにこの駅前に来たけど、なんかすっかり垢抜けてる。
鼻をつままないと入れなかったトイレも水洗に。
タヌキも場所を移動。
駅前には従弟その2が迎えに来てくれてた。
従弟その2の話では、このタヌキの銅像はコンドーさんという人が作ったらしい。
リアルなタヌキがお得意で、作った先からポンポン売れていくらしい。
タヌキのお腹の中には金色のチョンマゲがいる。
従弟その2の話では、金色のチョンマゲはタヌキに化かされてるのに気づかない殿さまらしい。
わしら人間はみんなこうやってタヌキに化かされてるのかもしれない。
従弟その2は東京でゲームの音楽関係の仕事をしてたんだけど、3年ほど前に地元に戻り自営でやってるらしい。
うちの親族は会社に勤めるのが苦手な奴が多い。
従弟その2の車でルミエール周桑へ。
控室に行くとオカンがいて、叔母(従弟その2のオカン)が持ってきた炊き込みご飯があったので食って、1時間ほど仮眠。
してたら、JA周桑のおっさんが入ってきた。
耳の遠いオカンのそばで一緒に話を聞く。
伊予弁というのは広島弁に似てるんだけど、独特のとぼけたイントネーションで、きつさを感じない。
どこか人を食ったような感じがする。
愛媛県といってもけっこう広くて、大きく東予、中予、南予に分かれるんだけど、松山と壬生川とで言葉が違うのは私でもわかる。
ただ、「とぼけたイントネーション」と「人を食ったような感じ」は共通。
JA周桑のおっさんも「神戸からの客」ということで標準語をしゃべってるつもりみたいなんだけど、間抜けな抑揚のイントネーションはそのままだし、「ぎり」とか、おそらく標準語だと思って使ってる。
とぼけた口調であーのこーの言いながら、あれもこれも買わそうとする。
東予人は商売がうまいので気をつけたほうがいい。(俺もか)
してたら、叔父(親父の弟)と叔母がやってきた。
今回、このご家族には何から何まで世話になった。
叔父は日大応援団の団長だった人で、体もでかかったんだけど、久しぶりに会うとちっちゃくなってた。
叔母はおしゃべり選手権愛媛代表(うそ)で、この人が来ると急ににぎやかになった。
河原津に地の魚を食わす美味い寿司屋があるから行こうと。
で、わしとよめはんと叔父、叔母、従弟その2の5人で車2台で行った。
寿司はすこぶる美味かったんだけど、叔母ちゃん、しゃべりっぱなし。
叔父は叔母がいないとこではけっこうしゃべるんだけど、叔母がいるとウーとかアーしか言わなくなる。
それから、私の祖父と祖母が住んでた家へ。
ここは子どもの頃の懐かしい思い出がたくさんあります。
今は誰も住んでおらず、庭で叔父が野菜を作ってます。
この大きな石に上って弟とよく遊びました。
裏庭。アジサイがきれい。
隣りにあるお寺。(正法寺)
宗派が違うけど、私の本籍がある高田という地名も通称は正法寺です。
ところで本籍って、日本中どこでも、実在する地番に移せます。(「転籍」といいます)
私は祖母が死んだら大阪守口に移そうと思ってましたが、祖母が死んだときは東京にいました。
何故か東京に移すのが不自然に思え、そのままにしてます。
よめはんは大阪に戻るつもりみたいですが、私は東京に骨を埋める覚悟です。
それでも何故か、本籍を東京に移すことを躊躇しました。
私自身、こんな仕事しててなんですが、戸籍制度に反対です。
さっさとなくしちまえと思います。
でも、現にあるのだからしょうがない。
あるうちは、まあ、高田でええやん、と思うようになりました。(なぜだかよくわからんのだけど)
石垣がくずれかけてて登下校の子どもに危ないと市から言われ、親父が70万円かけて設置したフェンス。
なんでこんなもんが70万もするんやと思ったら、ずうっと向こうまで続いてる。
勝手によそんちまで領土にしてる人民共和国みたい。(土地は篠原家の財産じゃないんだけど)
この日(6月19日)は午後6時から通夜。
この通夜がへんちくりんで笑えるんだけど今日はもう書く気がしない。
バリィさんのワンカップに握り飯やらなんやら。
その向こうで白い布と布団かぶって寝てるのは親父。
コップに入った液体はわしが買ってきた酒。
こで。
「日本心」(やまとごころ)という当地の地酒。
実に飲みやすくグイグイいけます。
この日、私は一人で半升あけ(みんなお車なので)、残りは従弟その2が嬉しそうに持って帰りました。
酒とタバコが大好きな家系です。
(伊予西条ネコバス旅情 お通夜の準備の巻 完)
京浜急行バスと瀬戸内運輸が共同運行するパイレーツ号。
行きは瀬戸内運輸のバスで帰りは京浜急行のバスだった。
瀬戸内運輸のバスのほうがネコバスっぽかった。
いま、ふと思ったんだけど、わし、こんなことリスたろっとる場合やろか。
もっとここに書かなアカン重要なことがようけあるんちゃうか。
まあいいや。
翌朝19日午前6時半、ネコバスは東予(壬生川駅前)に着いた。
久しぶりにこの駅前に来たけど、なんかすっかり垢抜けてる。
鼻をつままないと入れなかったトイレも水洗に。
タヌキも場所を移動。
駅前には従弟その2が迎えに来てくれてた。
従弟その2の話では、このタヌキの銅像はコンドーさんという人が作ったらしい。
リアルなタヌキがお得意で、作った先からポンポン売れていくらしい。
タヌキのお腹の中には金色のチョンマゲがいる。
従弟その2の話では、金色のチョンマゲはタヌキに化かされてるのに気づかない殿さまらしい。
わしら人間はみんなこうやってタヌキに化かされてるのかもしれない。
従弟その2は東京でゲームの音楽関係の仕事をしてたんだけど、3年ほど前に地元に戻り自営でやってるらしい。
うちの親族は会社に勤めるのが苦手な奴が多い。
従弟その2の車でルミエール周桑へ。
控室に行くとオカンがいて、叔母(従弟その2のオカン)が持ってきた炊き込みご飯があったので食って、1時間ほど仮眠。
してたら、JA周桑のおっさんが入ってきた。
耳の遠いオカンのそばで一緒に話を聞く。
伊予弁というのは広島弁に似てるんだけど、独特のとぼけたイントネーションで、きつさを感じない。
どこか人を食ったような感じがする。
愛媛県といってもけっこう広くて、大きく東予、中予、南予に分かれるんだけど、松山と壬生川とで言葉が違うのは私でもわかる。
ただ、「とぼけたイントネーション」と「人を食ったような感じ」は共通。
JA周桑のおっさんも「神戸からの客」ということで標準語をしゃべってるつもりみたいなんだけど、間抜けな抑揚のイントネーションはそのままだし、「ぎり」とか、おそらく標準語だと思って使ってる。
とぼけた口調であーのこーの言いながら、あれもこれも買わそうとする。
東予人は商売がうまいので気をつけたほうがいい。(俺もか)
してたら、叔父(親父の弟)と叔母がやってきた。
今回、このご家族には何から何まで世話になった。
叔父は日大応援団の団長だった人で、体もでかかったんだけど、久しぶりに会うとちっちゃくなってた。
叔母はおしゃべり選手権愛媛代表(うそ)で、この人が来ると急ににぎやかになった。
河原津に地の魚を食わす美味い寿司屋があるから行こうと。
で、わしとよめはんと叔父、叔母、従弟その2の5人で車2台で行った。
寿司はすこぶる美味かったんだけど、叔母ちゃん、しゃべりっぱなし。
叔父は叔母がいないとこではけっこうしゃべるんだけど、叔母がいるとウーとかアーしか言わなくなる。
それから、私の祖父と祖母が住んでた家へ。
ここは子どもの頃の懐かしい思い出がたくさんあります。
今は誰も住んでおらず、庭で叔父が野菜を作ってます。
この大きな石に上って弟とよく遊びました。
裏庭。アジサイがきれい。
隣りにあるお寺。(正法寺)
宗派が違うけど、私の本籍がある高田という地名も通称は正法寺です。
ところで本籍って、日本中どこでも、実在する地番に移せます。(「転籍」といいます)
私は祖母が死んだら大阪守口に移そうと思ってましたが、祖母が死んだときは東京にいました。
何故か東京に移すのが不自然に思え、そのままにしてます。
よめはんは大阪に戻るつもりみたいですが、私は東京に骨を埋める覚悟です。
それでも何故か、本籍を東京に移すことを躊躇しました。
私自身、こんな仕事しててなんですが、戸籍制度に反対です。
さっさとなくしちまえと思います。
でも、現にあるのだからしょうがない。
あるうちは、まあ、高田でええやん、と思うようになりました。(なぜだかよくわからんのだけど)
石垣がくずれかけてて登下校の子どもに危ないと市から言われ、親父が70万円かけて設置したフェンス。
なんでこんなもんが70万もするんやと思ったら、ずうっと向こうまで続いてる。
勝手によそんちまで領土にしてる人民共和国みたい。(土地は篠原家の財産じゃないんだけど)
この日(6月19日)は午後6時から通夜。
この通夜がへんちくりんで笑えるんだけど今日はもう書く気がしない。
バリィさんのワンカップに握り飯やらなんやら。
その向こうで白い布と布団かぶって寝てるのは親父。
コップに入った液体はわしが買ってきた酒。
こで。
「日本心」(やまとごころ)という当地の地酒。
実に飲みやすくグイグイいけます。
この日、私は一人で半升あけ(みんなお車なので)、残りは従弟その2が嬉しそうに持って帰りました。
酒とタバコが大好きな家系です。
(伊予西条ネコバス旅情 お通夜の準備の巻 完)
夕日がきれいやね。
ちょっとはまともなこと書かないと誰も読まないね。
by リス太郎 (2014-07-16 18:25)
こんなシリーズやるんやなかった。消したろか。
by リス太郎 (2014-09-11 22:02)
今日来たフィリピン人の男。1年近くぶりに会ったんやけど、自分が工場で作ってるパンだと言ってセブンイレブンのを大きな袋に山ほど持ってきよった。賞味期限13日なんやけど、どないせえゆうねん。食いきれるか。
by リス太郎 (2014-09-11 22:04)
リス太郎先生こんにちは。以前フィリピン人の離婚について質問したあさみです。お父様ご愁傷様でした。先生のブログを楽しみにしています。
リス太郎先生のお弟子になりたいです。
by あさみ (2014-09-30 16:04)
あさみさんへ
どんな質問だっけ?ごめんなさい。忘れてもた。
私の弟子になんかなってどうすんのって。(笑)
行政書士って、真面目に誠実にやればやるほど生活苦しいからね。
B企業のA書店に勤めてたほうがよっぽど楽や。(そんなこと書いてええんか)
by リス太郎 (2014-09-30 21:59)
新記事はもうしばらくお待ちください。
どうも執筆意欲が沸かん。
なに書くべきかわかんなくなってきた。
追記
10月10日に文藝春秋様で落語やりま~す。
覚えてるヒマないから思いつくまま漫談やろ。(ええんか?)
by リス太郎 (2014-09-30 22:04)
昨日9月30日から、インドネシア、フィリピン、ベトナムからのビザ(短期滞在査証・Temporary Visitor)が緩和されました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_001283.html
1.9月30日より数次ビザの期間を最長3年から5年に
2.11月中に団体旅行のビザ手続き簡素化
3.12月1日よりインドネシアはIC旅券(事前登録)に限りビザ免除(予定)
by リス太郎 (2014-10-01 09:47)
過去の関連記事
http://jpdragon.blog.so-net.ne.jp/2013-07-07
by リス太郎 (2014-10-01 09:48)
「投資・経営」ビザへの変更の話。以前、次の記事のダラダラと長いコメント数珠つなぎの中盤で「平成12年12月25日に入国在留課長が発令した通知」の「矛盾」(?)について書きました。
http://jpdragon.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08-1
「役員報酬」も含めて「年間投資額500万円以上」とした申請の結果ですが、8月14日に許可されました。へとへとになりましたが。
by リス太郎 (2014-10-01 10:11)
日本のメガバンク3行にミャンマー政府が営業免許を交付。
シンガポールや中国、オーストラリアなどにも交付される見通しだそうですが、日本が一番乗り。日経記事では「日本による経済支援の実績などを評価」と分析。
http://www.nikkei.com/article/DGKDASGM01H0L_R01C14A0EAF000/
by リス太郎 (2014-10-01 22:07)
先日、月曜日、ミャンマー人の方の申請を東京入管にしました。難民認定申請中で、「特定活動」(6ヶ月)から「人文知識・国際業務」への変更許可申請。ちなみにこの方の場合、本物の難民です。難民申請してるのでパスポートはとっくの昔に切れたままです。
バチェラー(学士)がサイエンス(理学)なのね。で、仕事は海外取引営業業務。「人文知識」は該当しないので「国際業務」でいこうと考えた。「3年以上の実務経験」か、「翻訳、通訳または語学の指導」が必要。ミャンマーとの営業には上司への報告など通訳業務も伴うよね。そして経歴をよく聞き取ると、3年ジャストの実務経験(営業)がある。
実はこの会社、「カテゴリー2」に分類される上場企業に次ぐ地位にあるんだけど、入念に資料を揃えて提出しました。
by リス太郎 (2014-10-01 22:20)
まあ来年2015年4月1日からは「技術」と「人文知識・国際業務」が一本化されるんだけど。
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri05_00007.html
by リス太郎 (2014-10-01 22:25)
以前にフィリピン人の再婚について質問したものです。
実は入管取次の行政書士になって3週間のひよっこです。本日初めてN入管に行ってまいりました。離婚定住で。
弟子になりたいというのは本当で、分からない時に教えていただけたらとてもありがたいです。
by あさみ (2014-10-02 18:59)
あさみさんへ
はじめての仕事が「離婚定住」ですか。いきなり超難関事案ですね。
「離婚定住」は「告示外定住」です。
「定住者告示」
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_hourei_h07-01-01.html
これに該当せず(だから「告示外」)、いわば法的根拠が希薄といいますか、入管審査要領により状況により許可され得ます。いろいろ条件ありますが、3年以上の実態ある婚姻期間は必須のようです。そして日本人の実子を監護養育していれば許可の確率はぐんと上がるようです。
申請窓口に行く前に永住審査部門で事前チェックを受ける必要があります。N入管のことは知りませんが、T入管ではそうです。
私はこれまで、2件の離婚定住変更を扱い、2件とも許可を得ました。初めての案件は男性で、奥さんも子どもも連絡が取れない状態でした。しかも過去に入管法違反がありました。許可の可能性はかなり低いと覚悟して臨みましたが、何とか許可していただきました。来週、その方の更新申請をするのですが、提出資料は入念に準備してあります。
日本人や永住者と離婚してしまうと、納税義務の履行など、字が読めないなどのことが原因でほったらかしになるケースがほとんどです。私は市役所に一緒についていってあげたりしています。そういうことにいちいち金は取りません。うちで変更や認定を頼んでくれた方の単純更新は格安で受けるので、紙に英語と日本語でやり方を書き、自分で市役所などに行ってもらっています。
「権利の擁護」だけでなく、「義務の履行」を促すことも我々行政書士の使命です。外国人の場合、言葉や文字理解(特に漢字)の問題で、悪意はなく義務の履行がなおざりになっているケースが目につきます。
行政書士は官公署に提出する書類を作成するのが仕事です。しかし本当にそれだけでいいのでしょうか。「書類つくったからなんぼ」でいいのでしょうか。「年間処理件数なんぼ」などと自慢してる場合でしょうか。有名な行政書士が単位会長から立て続けに廃業勧告等処分を受けていますが、似たような行政書士はゴロゴロいるはずです。また、悪気はなくとも法令や審査要領、実務を熟知せず、申請取次資格だけ取得して業務をやっている人もいます。
私もまだまだ知らないことが多く、この仕事(入管・帰化・渉外業務)の奥の深さを感じております。一般的な質問であれば、多くの方の参考になるので当ブログのコメント欄にお願いします。個別の案件に対する具体的質問につきましては、お互いに守秘義務があるので私のメールアドレスにお願いします。
E-Mail : shinohara@mba.ocn.ne.jp
by リス太郎 (2014-10-04 14:19)
リス太郎さま、ありがとうございます。
T入管は事前に行かないといけないのですね。今回の依頼人はちょっと遠方でして(私の自宅はY入管のエリア内)いろいろありましたが何とか書類の提出はしてまいりました。今回の方は婚姻歴3年以上、年収もギリギリだいじょうぶ、税金もお支払している、ただし離婚から2年以上経過(在留カードに改正される前の離婚)でした。いい結果を祈るばかりです。
私は夫がフィリピン人でして、入管には本当に色々な思い出がございます。F人友人が多く、特にT入管へは何回も行きました(その際リス太郎さまらしき方をお見かけいたしました。もう1年くらい前です)。
初めての依頼でしたが、変更が許可されなければ母国へ帰らないといけない、そしてその母国の現状を知っているので、許可をいただきたいという気持ちで、入管につくころにはヘロヘロになっていました。過去の思い出(鬼軍曹のような職員の方)もよみがえり、メチャ緊張しました。
リス太郎さまの「社会貢献的」な取り組み姿勢、とても素晴らしいと思います。分からない点ありましたら教えてくださいませ。
あさみ
ako@asami3.com
by あさみ (2014-10-05 08:52)
あさみさんへ
リス太郎「さま」はやめてください(笑)。「りすたろさん」でいいです。
在留カード改正(2012年7月9日)前であれば、配偶者に関する届出義務はなかったわけですね。
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri10_00016.html
配偶者や契約機関に関する届出義務は知らない人がほとんどです。
ちなみに「定住者」の方が離婚・死別した場合、配偶者に関する届出義務はありません。
今回のケースの場合、独立生計要件は問題なさそう。あとは実子を監護養育しているかどうかです。法務省のサイトでは「日本での活動に応じた資料」を掲示していますが、これはあくまでも「受理に必要な資料」です。
http://www.moj.go.jp/tetsuduki_shutsunyukoku.html
許可を得るためには全く不十分。誰がやっても許可される当たり前な申請なら最低限の資料提出でいいですが、我々のところに来るのは一筋縄ではいかない案件がほとんど。ヒアリングを入念にやり、臨機応変に考えていくことです。
旦那さんがフィリピンの方なんですね。いろいろご苦労なさったと思います。ただ、入管の体質は目に見えて改善されてきています。
しかしどこで誰に見られてるかわからへんな。気ィつけよ。(笑)
by リス太郎 (2014-10-05 12:08)
昨日、来られた2組の家族もフィリピン人。どちらも生活保護受給中。
今日はこれから23区の西のほうへ。フィリピン人。生活保護受給中。
生活保護受けてると入管に対し何やってもうまくいかない。でもほっとけない場合が多い。必要経費だけいただき、とにかくやる。報酬は成功してからちょっとずつ。そして生活保護から抜け出すための努力を促す。生活保護受給者から金取ってたら貧困ビジネスやし(ユニティーだっけ)。
今日はまあ、NPOからの紹介なんだけど。生活保護受けてる状態で永住権は無理だと言うんだけど。どうしてもと。聞くとやむを得ない事情がありそう。今日はとにかく、無料相談で詳しい話を聞いてきます。
by リス太郎 (2014-10-05 12:22)
金曜日に落語やるんだけどちっともテンション上がらない。
今日の方は生活保護ではなく母子家庭の児童扶養手当でした。私の記憶違い。いろんな人のいろんな相談あるからごっちゃになってる。
誰にも相談できない、誰も話を聞いてくれない、ということは辛いものです。だから私は99%無理な相談でも話を聞きに行きます。よっぽどの遠方でないかぎり完全無料。できたら西葛西まで来てほしいけど。
お金をいただける仕事につながらなくても、たとえ経費倒れになっても、人に希望を与え笑顔になってもらえるなら、それだけでも意味のある仕事だと思う。そして私も勇気をもらえる。また、そこからお客が増えていったりもする。「営業」というのは「無駄なこと」の繰り返しだと思う。「無駄」を「無駄」と思ったら、その人は「営業失格」でしょう。
こんなことここに書いてればちょっとはテンション上がるかなと思って。
がんばろ。
by リス太郎 (2014-10-05 19:31)