SSブログ

あと15分

精神科医に行かなきゃならない。躁鬱病を治してもらいに。今は1ヶ月の鬱期から脱出しようとしている状態。薬がどう変わるのか。変わらないのか。いずれにせよあと15分で出掛けねばならない。誤字脱字、不適切な表現は病院から帰ってから直す。

結婚してしばらくして阪神淡路大震災があった。あの頃の公私にわたるバタバタは筆舌に尽くしがたい。その少し前、結婚して「頑張るぞ」と思っていたわけだが、軽い落ち込みを感じるようになった。それを吹き飛ばしてくれたのが阪神淡路大震災。しかしその対応で体調が悪くなった。あるバイヤーは神戸港が壊滅状態で輸出できず納期が遅れるというと烈火のごとく怒ったらしい。アパレルのヨーカドー担当は「許さんっ!」と。「はしけで商品を船まで運べ」と。神戸では多くの人が亡くなり行方不明になっている。

1994年4月、地震騒ぎも少し落ち着いたので妻とフランスに新婚旅行に行った。楽しかった。しかしそれからまた損害賠償だのなんだかんだと走り回る生活が始まった。最初に目の不調を感じた。そして右耳が聴こえにくくなった。京阪大和田の耳鼻科には半年通った。鼻から空気を入れたり器械で鼓膜をポンポンしたり。ちっともよくならないので先生に聞いたら「治らない」と。何故かと聞くと「自律神経失調症だから」と。早く言え。そんなに儲けたいか。

妻が心療内科を探してくれ、精神科医に通いだした。重症患者の多い病院だった。「俺、今、鬱やねん」「こないだは中央大通りの真ん中をチャリで逆走したってん」とか待ち時間に大声で話しかけてくるおっさん。完全に躁である。と思ったら異様に太った女性が満員の待合室で苦しくて寝転んでる。鬱に苦しんでるんだと思う。横になるのが一番、楽。太っているのはストレスによる過食だと思う。

そんなわけで私が躁鬱病にかかったのは1993年12月頃だと思う。27才だった。そして今、54才。半生の半分、27年を躁鬱病と闘ってきたことになる。

そろそろ出かける時間である。2021年3月3日を躁鬱病からの脱出の日としたい。そうなることを祈ってほしいとは思わない。自分との闘いだから自分と医者とサポーターの妻とでなんとかする。

時間がない。俺には時間がない。あと6年で還暦である。

写楽.jpg

nice!(6)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 6

コメント 1

リス太郎

3月3日のジャパブロ更新です。
https://www.japalife.jp/blog/detail/id=346
by リス太郎 (2021-03-03 02:03) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。