アンコナン発祥の地・東京都江戸川区船堀 [国際交流]
上方落語に『化け物使い』という、あまり誰もやらないネタがあります。江戸落語では三代目古今亭志ん朝師匠が得意としました。私はつい先日亡くなられた二代目桂ざこば師匠のを聴いたことがあります。ストーリーを簡単に言うと人使いの荒い旦那がおり使用人がみなやめていく。仕方がないので化け物を雇うことにする。一つ目小僧ものっぺらぼうもみんなやめていく。最後に化け物に化けていた狸が出てきて「おひまをいただきたい」。
いま時間は日本時間で2024年6月16日(日)午後11時15分なので「今日」と言いますが、今日は午前9時半まで寝ていました。起きると妻は既にパソコンの前でたまりまくった申請書作成に没頭しており、ブログ遊びをするわけにいかず、私はパソコンを使わなくてもできる仕事をしていました。
しかし夫婦というのは遠慮がないもんで次第に命令口調になる。「そんなこともわからんのかボケ!」とか。つかみ合いになる。
それでもたまの日曜日、なかよくランチにと銀行で金をおろしましたが、もったいなくなりドトールですませました。妻も私も過労のため食欲がないため。私の体温は上がったり下がったり。いま36度5分ですが、平熱35度台の私には辛いです。
パソコン用のメガネが老眼のため見えにくいためワールドメガネに行きワールドギャグで笑わす。6千円を払う。できるのは明日の午後5時。9時に来客のラミさんはネパール人。ラミさんの姉の夫の息子を呼ぶ件。「姉の息子」だと意味が通じない。「姉の夫の息子」と言ってもらわないと在留資格該当性の有無がわからない。
「花キューピット」で神戸の母の誕生日祝いにアジサイを買おうとするがおばさんたちで大混雑。よく考えたら父の日。またにしようと。というのはこの店には私が知ってる水商売の女性がバイトしてるのであまり妻とうろちょろしたくない。
令和元年にスナック「令和」がオープンしました。「フィリピンパブだ」と客引きに言われ営業だと思い行きました。確かにフィリピンパブなのですが日本人の女性がついてくれました。日本語で自由に会話できるというのはありがたいもので、すぐに打ち解けました。夫が出張族でさびしくて仕方ないと言います。うちへ来てシテほしいと。当時はまだ元気だったのでオッケーしました。指名し延長を繰り返しました。フィリピンパブというのは「なんでもオッケー」なところがあり、卑猥なことをいっぱいしました。
何の話だ。
明日、6月17日は亡父の命日だそうです。妻に聞きました。とにかく変わり者で、口癖は「世の中で一番偉いのはワシで二番目が昭和天皇、三番目がサダム・フセイン」。「一番アホなのは(平成)天皇」。亡父の母に対する虐待の数々はブログに書きたくても思い出すと忌まわしくて書けません。
6月15日(土)の話をします。午後8時にネパール人のボーラ・ヤム・バハドゥー氏の個人経営である船堀のインド・ネパール料理「クリシュナパレス」に行きました。10時にしか来ないと思っていたボーラ氏とインド人のゴビンダさん(以下、キムジョンウンという。髪型が同じなので)がスタンバイしていました。
「まずなんか食います?」「仕事を先にやりましょう」
合同会社だと思ってたら株式会社を作りたいと。一応、違いを説明しました。みなさんも会社を作るなら株式のほうが便利です。詳しくは司法書士に聞いてください。合同会社は安く作れますがあとでトラブルになる可能性をはらんでいます。
英文の株式会社設立(定款作成及び登記)と司法書士への報酬、税理士費用、私のビザ変更は15万プラス事業計画書及び収支予算表作成費用5万円なんだけど5万円はディスカウントすると。あとは飲食店経営なら保健所の手続き代行費用など。そして最後にビザ更新費用。
いくつかの質問があり丁寧に答える。そして握手し「とりあえず呑もう」となる。
ボーラさんはいつものように焼酎。日本の焼酎が大好き。ネパール人のくせに。この日は烏龍茶で割って呑んでいた。すぐ酔っ払う。毎日の楽しみはスーパー銭湯に行くこと。これもネパール人には珍しい。人前で全裸になることに抵抗ある民族だから。
ジョンウンは生ビールを頼むので私も生ビールにしました。ジョンウンは巨体をゆすらせおいしそうに生ジョッキを一気呑みします。体がでかいのでジョッキが小さく見えます。そして私のジョッキは残っているのに「篠原さんももう一杯いかがですか」と。仕方なく一気呑みする。
この日は浴衣にサンダルでした。浴衣にして正解。ビール腹でお腹が出っ張っても和服だと苦しくないしパンツがずってくることもないんです。この写真をのあちゃんに送ったら「わあたくちゃんきょうも男前です」って、どこまで本気でそう思ってるのか。(笑)
生ビールを何杯か呑んだあと、「なんか食おう」という話になります。私はビールで腹いっぱいだし風邪で食欲なかったのですが、名物のアンコナンを頼みました。「クリシュナ」で一番、日本語のうまいティワリくんに「いつもフェイスブックにいいねをありがとう」「とんでもないです、サー」。「サー」というのは卓球の福原愛さんではなく男性に対する敬称です(わかってるっちゅうねん)。
「ところで一番下の子、小学校入るとき大変やった子、いまは三年生か」「五年生です」
あれからもう5年。ボーラさんとこうやって会ってじっくり話すのは5年ぶりかと。
これが江戸川区船堀発祥のアンコナンです。今ではみんな真似してますが。本来は「クリシュナ」ではなく船堀は船堀でもマリカインターナショナル(創業者はボーラさん)の本店がある「ビニタ」なんですが。
ボーラさんはネパールのグルミというところからコックとして香川県高松市にやってきてコックとしての腕を更に磨きました。苦しいこと哀しいこと、いっぱいあったと思います。そして東京に出てきて(厳密には最初は栃木かどっかのような気がします。でないとつじつまが合わない)、マリカを立ち上げました。このとき世話になったのが有名な女性行政書士で、彼女に遠慮して私への仕事は家族関係と新規紹介だけにしています。
いまのジャパライフ(しのはら行政書士事務所)の価格表はボーラさんの言い値です。最初は進藤先生が「船堀のビニタに行ってごらん」と岸本先生の鞄持ちを卒業して仕事がなく困っていた私に言いました。ボーラ社長はいなかったので奥さんに価格表を渡しました。そしたらボーラさんから電話あり「近くにいるから行く」と。で、「高い」と。赤マジックで訂正していき、「この価格なら日本中どこへ行っても通用する」と。「そんな殺生な」と思いましたが、やってみると入れ食い状態。大変なんだけど。
アンコナンはボーラ社長の発案です。ネパール人がアンコなんか食うわけありません。でもうまいです。高松といえばアンコ入りの餅の雑煮。私の母は大阪市東住吉区湯里という下町の出身で、私もそこで生まれたのですが、祖父母は高松から出てきました。私の先祖は父方は伊予ですが母方は讃岐です。その流れで正月の雑煮はアンコ入りでした。これが全国的にはきわめて珍しいらしく、ボーラさんはそれを見てアンコナンを思い付きました。
マリカは諸般の事情により少しずつレストランを個人経営に切り離し、会社は貿易業務中心となっています。しかし「ビニタ」は本店があるため切り離せません。土曜日は『カレー移民の謎』の話もしたんですが、「ビニタ」は「インド料理」の看板をおろし「ネパール料理」にする予定だそうです。また食べに行かねばなりません。長女は大学生、長男は高校生です。時の流れは早いものです。
「名物ばあさん」が「顧問」としてマリカにいまして。江戸っ子ばあさん。私は「ビニタ」で3度ほど飲食を共にしたことがあるのですが、私が何かしゃべろうとすると「あんたはだまってなさいっ!」。ボーラ社長は何を言われてもうなずくだけ。
「そもそもボーラに車の運転免許とれって言ったのアタシなのよ。そのおかげで貿易で成功してるんだから。ドレッシングだって開発したのアタシよ。キューピーから味の素からレシピを教えてくれってきたけどみんな追い返してやったんだから」
このドレッシングは全国のインド料理店で当たり前のように使われてるんだけど。
で、すっかり酔っ払ったところでコックが車で足立区まで送るという。「やっと帰ったぜ」みたいな。
「クリシュナ」での話に戻りますがボーラさんは「世界で一番強いのはロシア、次に中国、そしてインド」と。何の話かと思ったら彼のいう「強い」というのは「面積が広い」と言いたかったようで。私はネパール人とインド人を相手にどちらの国をも立てるよう気を遣いながら「外交」してたわけで、「これからはインドの時代だが日本はネパールも大事にせねばならない」と言いたかったわけです。
この日は翌日にまたぐことはなく、午後11時半ぐらいでお開きになりました。会計はキムジョンウンがおごってくれました。ボーラさんはまだ仕事があるといい、キムジョンウンと帰りました。ジョンウンとは簡単な日本語と簡単な英語でコミュニケーションします。ヒンディー語は余裕ができたらやります。
ボーラさんと話してたんだけどネパール人というのは小学校とか中学校とかいう概念がなく、例えば「グレード7」とか「グレード11」とかで「中退」という形を取ります。もちろん卒業もあるんでしょうがよくわかりません。「グレード7」って日本で言えば中学一年で中退して調理師になったり大工になったりするわけですが、ネパール語以外に英語とヒンディー語は当たり前にしゃべれます。しゃべれないと生きていけないんです。問題は「学校に行けない貧しい子ども/学校自体がないエリアが多いこと」です。ボランティア団体や民間の寄付に頼るだけでなく、日本国政府として何かできないものでしょうか。
船堀駅前でジョンウンと握手して別れ、立ちしょんべんして帰りました。通りすがりの若い奥さんが言いました。
「うちの旦那より立派」
いま時間は日本時間で2024年6月16日(日)午後11時15分なので「今日」と言いますが、今日は午前9時半まで寝ていました。起きると妻は既にパソコンの前でたまりまくった申請書作成に没頭しており、ブログ遊びをするわけにいかず、私はパソコンを使わなくてもできる仕事をしていました。
しかし夫婦というのは遠慮がないもんで次第に命令口調になる。「そんなこともわからんのかボケ!」とか。つかみ合いになる。
それでもたまの日曜日、なかよくランチにと銀行で金をおろしましたが、もったいなくなりドトールですませました。妻も私も過労のため食欲がないため。私の体温は上がったり下がったり。いま36度5分ですが、平熱35度台の私には辛いです。
パソコン用のメガネが老眼のため見えにくいためワールドメガネに行きワールドギャグで笑わす。6千円を払う。できるのは明日の午後5時。9時に来客のラミさんはネパール人。ラミさんの姉の夫の息子を呼ぶ件。「姉の息子」だと意味が通じない。「姉の夫の息子」と言ってもらわないと在留資格該当性の有無がわからない。
「花キューピット」で神戸の母の誕生日祝いにアジサイを買おうとするがおばさんたちで大混雑。よく考えたら父の日。またにしようと。というのはこの店には私が知ってる水商売の女性がバイトしてるのであまり妻とうろちょろしたくない。
令和元年にスナック「令和」がオープンしました。「フィリピンパブだ」と客引きに言われ営業だと思い行きました。確かにフィリピンパブなのですが日本人の女性がついてくれました。日本語で自由に会話できるというのはありがたいもので、すぐに打ち解けました。夫が出張族でさびしくて仕方ないと言います。うちへ来てシテほしいと。当時はまだ元気だったのでオッケーしました。指名し延長を繰り返しました。フィリピンパブというのは「なんでもオッケー」なところがあり、卑猥なことをいっぱいしました。
何の話だ。
明日、6月17日は亡父の命日だそうです。妻に聞きました。とにかく変わり者で、口癖は「世の中で一番偉いのはワシで二番目が昭和天皇、三番目がサダム・フセイン」。「一番アホなのは(平成)天皇」。亡父の母に対する虐待の数々はブログに書きたくても思い出すと忌まわしくて書けません。
6月15日(土)の話をします。午後8時にネパール人のボーラ・ヤム・バハドゥー氏の個人経営である船堀のインド・ネパール料理「クリシュナパレス」に行きました。10時にしか来ないと思っていたボーラ氏とインド人のゴビンダさん(以下、キムジョンウンという。髪型が同じなので)がスタンバイしていました。
「まずなんか食います?」「仕事を先にやりましょう」
合同会社だと思ってたら株式会社を作りたいと。一応、違いを説明しました。みなさんも会社を作るなら株式のほうが便利です。詳しくは司法書士に聞いてください。合同会社は安く作れますがあとでトラブルになる可能性をはらんでいます。
英文の株式会社設立(定款作成及び登記)と司法書士への報酬、税理士費用、私のビザ変更は15万プラス事業計画書及び収支予算表作成費用5万円なんだけど5万円はディスカウントすると。あとは飲食店経営なら保健所の手続き代行費用など。そして最後にビザ更新費用。
いくつかの質問があり丁寧に答える。そして握手し「とりあえず呑もう」となる。
ボーラさんはいつものように焼酎。日本の焼酎が大好き。ネパール人のくせに。この日は烏龍茶で割って呑んでいた。すぐ酔っ払う。毎日の楽しみはスーパー銭湯に行くこと。これもネパール人には珍しい。人前で全裸になることに抵抗ある民族だから。
ジョンウンは生ビールを頼むので私も生ビールにしました。ジョンウンは巨体をゆすらせおいしそうに生ジョッキを一気呑みします。体がでかいのでジョッキが小さく見えます。そして私のジョッキは残っているのに「篠原さんももう一杯いかがですか」と。仕方なく一気呑みする。
この日は浴衣にサンダルでした。浴衣にして正解。ビール腹でお腹が出っ張っても和服だと苦しくないしパンツがずってくることもないんです。この写真をのあちゃんに送ったら「わあたくちゃんきょうも男前です」って、どこまで本気でそう思ってるのか。(笑)
生ビールを何杯か呑んだあと、「なんか食おう」という話になります。私はビールで腹いっぱいだし風邪で食欲なかったのですが、名物のアンコナンを頼みました。「クリシュナ」で一番、日本語のうまいティワリくんに「いつもフェイスブックにいいねをありがとう」「とんでもないです、サー」。「サー」というのは卓球の福原愛さんではなく男性に対する敬称です(わかってるっちゅうねん)。
「ところで一番下の子、小学校入るとき大変やった子、いまは三年生か」「五年生です」
あれからもう5年。ボーラさんとこうやって会ってじっくり話すのは5年ぶりかと。
これが江戸川区船堀発祥のアンコナンです。今ではみんな真似してますが。本来は「クリシュナ」ではなく船堀は船堀でもマリカインターナショナル(創業者はボーラさん)の本店がある「ビニタ」なんですが。
ボーラさんはネパールのグルミというところからコックとして香川県高松市にやってきてコックとしての腕を更に磨きました。苦しいこと哀しいこと、いっぱいあったと思います。そして東京に出てきて(厳密には最初は栃木かどっかのような気がします。でないとつじつまが合わない)、マリカを立ち上げました。このとき世話になったのが有名な女性行政書士で、彼女に遠慮して私への仕事は家族関係と新規紹介だけにしています。
いまのジャパライフ(しのはら行政書士事務所)の価格表はボーラさんの言い値です。最初は進藤先生が「船堀のビニタに行ってごらん」と岸本先生の鞄持ちを卒業して仕事がなく困っていた私に言いました。ボーラ社長はいなかったので奥さんに価格表を渡しました。そしたらボーラさんから電話あり「近くにいるから行く」と。で、「高い」と。赤マジックで訂正していき、「この価格なら日本中どこへ行っても通用する」と。「そんな殺生な」と思いましたが、やってみると入れ食い状態。大変なんだけど。
アンコナンはボーラ社長の発案です。ネパール人がアンコなんか食うわけありません。でもうまいです。高松といえばアンコ入りの餅の雑煮。私の母は大阪市東住吉区湯里という下町の出身で、私もそこで生まれたのですが、祖父母は高松から出てきました。私の先祖は父方は伊予ですが母方は讃岐です。その流れで正月の雑煮はアンコ入りでした。これが全国的にはきわめて珍しいらしく、ボーラさんはそれを見てアンコナンを思い付きました。
マリカは諸般の事情により少しずつレストランを個人経営に切り離し、会社は貿易業務中心となっています。しかし「ビニタ」は本店があるため切り離せません。土曜日は『カレー移民の謎』の話もしたんですが、「ビニタ」は「インド料理」の看板をおろし「ネパール料理」にする予定だそうです。また食べに行かねばなりません。長女は大学生、長男は高校生です。時の流れは早いものです。
「名物ばあさん」が「顧問」としてマリカにいまして。江戸っ子ばあさん。私は「ビニタ」で3度ほど飲食を共にしたことがあるのですが、私が何かしゃべろうとすると「あんたはだまってなさいっ!」。ボーラ社長は何を言われてもうなずくだけ。
「そもそもボーラに車の運転免許とれって言ったのアタシなのよ。そのおかげで貿易で成功してるんだから。ドレッシングだって開発したのアタシよ。キューピーから味の素からレシピを教えてくれってきたけどみんな追い返してやったんだから」
このドレッシングは全国のインド料理店で当たり前のように使われてるんだけど。
で、すっかり酔っ払ったところでコックが車で足立区まで送るという。「やっと帰ったぜ」みたいな。
「クリシュナ」での話に戻りますがボーラさんは「世界で一番強いのはロシア、次に中国、そしてインド」と。何の話かと思ったら彼のいう「強い」というのは「面積が広い」と言いたかったようで。私はネパール人とインド人を相手にどちらの国をも立てるよう気を遣いながら「外交」してたわけで、「これからはインドの時代だが日本はネパールも大事にせねばならない」と言いたかったわけです。
この日は翌日にまたぐことはなく、午後11時半ぐらいでお開きになりました。会計はキムジョンウンがおごってくれました。ボーラさんはまだ仕事があるといい、キムジョンウンと帰りました。ジョンウンとは簡単な日本語と簡単な英語でコミュニケーションします。ヒンディー語は余裕ができたらやります。
ボーラさんと話してたんだけどネパール人というのは小学校とか中学校とかいう概念がなく、例えば「グレード7」とか「グレード11」とかで「中退」という形を取ります。もちろん卒業もあるんでしょうがよくわかりません。「グレード7」って日本で言えば中学一年で中退して調理師になったり大工になったりするわけですが、ネパール語以外に英語とヒンディー語は当たり前にしゃべれます。しゃべれないと生きていけないんです。問題は「学校に行けない貧しい子ども/学校自体がないエリアが多いこと」です。ボランティア団体や民間の寄付に頼るだけでなく、日本国政府として何かできないものでしょうか。
船堀駅前でジョンウンと握手して別れ、立ちしょんべんして帰りました。通りすがりの若い奥さんが言いました。
「うちの旦那より立派」
あれから午前2時には死んだように眠り、今朝は7時に気持ちよく起床。一服してお茶をがぶ飲みしておしっこをすると一気呵成に仕事を片付ける。大量のファイルは妻がほとんど申請書を入力済み。妻を起こし妻を見送る。すぐにドトールへ。一番ややこしい「ビールくん」案件を片付ける。外へ出てアヌプに電話。奥さんのパスポート全ページをバイバーで送れと。あと各種問題点。「やるからには絶対失敗せん」「だから篠原先生に頼むだが」。「だが」というのは彼の口癖。川越弁か。
by リス太郎 (2024-06-17 12:28)
子どもはセックスが「F」になってる。パスポートの写真はどう見ても男の子。ボーイッシュ。
by リス太郎 (2024-06-17 12:30)
朝から浴衣姿。楽。「暑けりゃ肌脱げ」と言いますが私はいまもろ肌脱いでます。これを女性がやると男性陣は興奮して仕方ないのですが。
by リス太郎 (2024-06-17 12:32)
春から夏にかけては浴衣、秋は着流し、冬は着物に羽織。スマホも財布もデニムのバッグに放り込んでしまう。煙草とライターは左袖口に入れる。問題はパスモ。かつてはふところに入れてたんですがすぐなくなる。ので、帯に挟むようにしています。
by リス太郎 (2024-06-17 12:36)
「ビールくん」を片付ける。「ビールくん」の傑作話はブログでも書いたし緑風の『100話』でも書いた。その続き話がまた傑作なんですが、もう100話じゃ足らないという話。とりあえず「ビールくん」の妻と娘の認定とグルンさん夫妻の更新は明日着で送ります。そしてディーパクさんに電話。「もういいかい」「もういいよ」。
by リス太郎 (2024-06-17 12:45)
2万円受取り。これは役員報酬の一部であり社会保険料の個人負担分で消える。「ロカくんの写真と原本は」「今日中」。ゆうてる間に妻からライン。オカンが今年も東京展に入選したと。勘弁してくれと。あのババアが東京に来ると疲れるんや。一気にエネルギーを吸い取られる。ということは7月に神戸垂水に帰る必要がなくなったということ。あれは去年の7月だと思うけど大変だった。ブログにも書いた。私はHちゃんとの同伴で有り金が少なかった。しかしそんなこと妻にも母にも言えない。心配かけてもいけない。大盤振る舞い。タクシー使いまくり。夕食は丸の内の高級軽井沢料理。妻が「お年寄りは皇室が好き」というんで皇居が眺められる店。「お母さん、天皇陛下はあそこに住んではるねんで」「ふーん」。あんまり興味なし。東京駅で岡山行きのひかりに乗せるんだけど「おしっこしたい」。女子便所は大行列。「女は80超えたら男子でええんじゃ」と大声で言うと周囲からくすくす笑い。無事に見送り五之割公園で妻と長い長い話。
by リス太郎 (2024-06-17 13:01)
してたらさいたま市のある区役所から電話あり。最初は何を言ってるのかわからなかった。要するにセネガル人の仮放免者の話。「出産を控えているらしく区として何ができるか教えてほしい」と。即答できず調べて折り返しますと。これこそ「地方自治」でありどこまでできるかはさいたま市長の判断なんだけど「江戸川区に相談するので参考にしてください」と。私は江戸川区民だし江戸川区のためボランティアもやってる。住民税も少ないけど払ってる。うちの妻なんか非正規だっけど残業がアホほど多いから「高額納税者」や。これから江戸川区役所本庁に電話します。
by リス太郎 (2024-06-17 13:09)
https://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00208.html
by リス太郎 (2024-06-17 13:22)
https://www.bunken.nga.gr.jp/.assets/iinnkai-3_kiroku_beshi1_6.pdf
by リス太郎 (2024-06-17 13:26)
https://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/kenpou/houkokusyo/houkoku/03_45_01.html
by リス太郎 (2024-06-17 13:29)
つまり憲法92条(地方自治の本旨)をどう解釈するかという問題だと思う。
by リス太郎 (2024-06-17 13:32)
明日、難民支援協会に電話します。当然に寄付もします。
by リス太郎 (2024-06-17 18:17)
ドトールで仕事してたら春日部のセレスタから本日2度目の電話あり。「今度はなんや」「土曜日はボーラさんとなにした?」「お前のサラリーを50万にする話」「ほんと?」「うそ」「う~」「インド人の会社設立や」「インド人?」「西葛西はインド人の街や」「インド人きびしいね」「やりにくくてしゃあない…って、今もインド人が歩いてる。おかしなこと言わすな」「う~」「50万もろたら年収600万や。奥さんオーバーワークせんでええやろ」「ごめんなさい。もうしません」「入管に言え」。
by リス太郎 (2024-06-17 18:28)
ワールドメガネへ行きパソコン用のメガネをもらってきました。これで鮮明に見えるかと思ったらそうでもない。寝不足が原因だと思う。老眼の進行は65ぐらいで止まるらしく、それまでは調整していかねばならないと。篠原さんの場合は乱視が激しいんだけど進行は止まってる。近視もわずかにあるけどこれもとまってる。老眼は老化現象なのでどうしようもありません。わっはっは。
by リス太郎 (2024-06-17 18:32)
帰って来て郵便受けをのぞくと大量の郵便物。入管からのハガキが2枚。1枚はおさわがせのラムさんの娘のアルバイト許可。これは当たり前には許可されないと思ってましたが下りました。ただ、ラムさんの娘はしばらくネパールに帰ります。私はディーパクに強く怒ったのですが、なんで怒られてるのかどうしても理解できないディーパク。5千円なんだけど特別に2千円にしてやった。「よそには5千と言えよ」と。
by リス太郎 (2024-06-17 18:36)
もう一枚が大問題のインド人。「ゴヴィンダス」のコック。ほとんどインドへ帰っており日本でコックをやってない。脊椎の病気だというんだけど診断書もない。職歴と出入国履歴を丹念につくり陳情書を書いた。無事におりた。これで1万1千円。〆張鶴の一升瓶ぐらいもってこい。
by リス太郎 (2024-06-17 18:41)
「ゴヴィンダス」と仲の良いデントーのプラディープ社長に電話。最近あの人、すっかり老け込んでる。「私ももう年だから」が口癖。ワシとお前は同い年じゃバカタレ。ちっとも喜ばない。喜んでもらわないと嬉しくないので本人にラインする。英語でしゃべる。あまり喜ばない。何が問題かをわかってない。プラディープ社長に電話してくれというのでもう一度かける。
by リス太郎 (2024-06-17 18:45)
つまり早く病気を治して「ゴヴィンダス」で働き続けろということ。いちいちインドに帰るな。国保入ってるやろ。日本の病院へ行け。
by リス太郎 (2024-06-17 18:47)
いまフィリピン人18才の帰化を受注しました。もう金は振り込んだと。やらなしゃあない。お父さんが誰だかわからないんだけど。(日本人ではないらしい)(日本人であれば日系人なんだけど逃げてるからおんなじことか)
by リス太郎 (2024-06-17 19:25)
午後9時にラミさんがラミさんを連れて事務所に来ます。この話、ボーラさんにしたら「有り得ない」と。つまりラミさん(仮名)の姉の夫がラミさんというのは偶然すぎると。めんどうなので通訳をミラさんとします。ミラさんの姉の夫がラミさんでネパールから息子を呼びたい。失敗歴2回。西葛西に篠原という変な日本人がいると聞き電話してきたのがミラさん。ラミさんは日本語がしゃべれないと。
by リス太郎 (2024-06-17 19:32)
バイバーの書類で大体わかったので品川(仮に)に行くと。ミラさんは来なくていい。ネパール語と英語で十分だと。そしたらミラさんが品川に行っても無駄だと。池袋へ行けと。池袋にも店があるのかと聞いたら大学でカレー作ってるとかって。それ、学食やんけ。
by リス太郎 (2024-06-17 19:35)
リス太郎さん おはようございます。
バケモノまで出て行ってしまうとは、そうとうな人使いの荒い旦那なのですね。気になって「あらすじ」を見てみました。
http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/bakemonotukai.html
by SORI (2024-06-18 04:47)
SORI さんへ
コメントありがとうございます。お時間があればこれを流し聞きしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=sReyZfDxbTY
by リス太郎 (2024-06-18 11:37)