SSブログ

父方のおばあちゃんの旦那(つまり父方の・・・)

私の父方の祖父については、以前ちょっと書いた覚えがあるので一部はしょります。
愛媛県周桑郡の人。(今は西条市)
戦争が激しくなるまでは東京で仕事をしてました。
私の父も東京生まれです。
戦後は四国海運局の役人として船舶関係の仕事に尽力しました。

政財界にもお友達が多かったようで、実名は出しませんがみなさん誰でも知ってる大物と深い親交があったそうです。
昭和天皇から勲章をいただいた時は、私がおじいちゃんの手を引いて京都の御所まで案内しました。(おじいちゃんは失明していました)

おじいちゃんは私が大学5回生のときに亡くなりました。(留年してました)
私は試験中であることを理由に葬儀に行きませんでした。
実はなんと言いますか、今風に言えばうざかったのです。
いろんな人がまとわりついてくるので。
家内に言わせれば「長男の長男だから仕方ない」とのことですが、そういうのがどうも私には馴染めません。
でも、あの時、四国へ帰らなかったことを本当に悔やんでいます。

私が失業し、躁うつ病で苦しんでいるとき、飲み屋の客がからんできました。
「われ、じじいの葬式も行かんかったんかい。そら、病気んなるわ。自業自得や。今からでも遅ない。墓参りして線香の一本もあげたらんかい」
私はすぐに旅支度をすると大阪南港から船に乗りました。
明け方、東予港に接岸。
私の先祖が脈々と命をつないできた海です。
バスでおばあちゃんがひとりで住む家へ。
荒れ果てて草ぼうぼうの庭を通りおばあちゃんに挨拶。
突然のことに驚くおばあちゃん。
バケツとタワシをつかむとタクシーで山の中腹にある墓地へ。
このへんの苗字は私の名前である篠原か越智か三好ぐらいしかない。
特に大きくもない篠原家の墓。
ただ、隣にはおじいちゃんの功績を讃える石碑があります。
バケツに水をくむと一心不乱に墓を磨く。
墓のてっぺんにはスズメバチの巣がありますから気をつけねばなりません。
この蜂の巣は取ってはなりません。
人間の勝手な都合で生き物に迷惑をかけてはならない。
篠原家の流儀なのです。

線香に火をつけて拝む。
とても爽やかな気持ちになりました。

ふだんはおとなしいが、いざとなると震え上がるような迫力があったおじいちゃん。
いつも弱者の味方だったんだとか。
いまだにおじいちゃんを慕う人が多いそうです。

私の正義感が強いのは間違いなくおじいちゃんゆずりです。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1