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カニ味噌通信 File No. 0089 (未執行の死刑囚が100人を突破) [カニ味噌]

私とカニ助先生がいくら仲がいいといっても全く違う人格です。
ものの考え方もかなり違います。
でもカニ助先生の意見が自分と違うからといって、それを理由に記事をボツにしたことはありませんし、これからもありません。
今回の記事に私は全面的に反対ですし、不快感さえ覚えます。
私の意見とは違うということを明確にした上で、どうぞ読んでください。

(この記事はブログペットのカニ助先生が書きました♪)

     ■■■■■■■■■■

ども。カニ助です。
中国も旧正月の連休中、今日午後は上司も外出。
仕事中ですがカニ味噌通信の原稿をリス太郎にまとめ打ちしています。
えぇ~と、なになに?
死刑確定していながら未執行となっている服役者が100名を突破だそうです。

予備校の合格者実績じゃないっての。
しかし、法的には死刑は確定しているのに執行に再度法的手続きが必要と言うのは、なんともまどろっこしいですな。
死刑囚の数だけ辛い思いをした被害者と被害者家族がいるわけで、法務大臣が「おれはハンコ押すのイヤだ」という次元の話でも無いような気がします。

死刑賛否の話は今回は置いておいて、遺族の気持ちを考えればいつ犯人が死刑に処せられるのか知らされないというのは、これまた苦痛だと思います。
いっそのこと、死刑執行の最終サインは遺族にしてもらえればどうなのでしょうか?

「1秒でも早く殺してやりたい」という心情や「いつ死刑になるのかという恐怖を日々背負わせてやる」という考え方や「犯人が死刑になったら、あの世でまたうちの子がイタズラされる」とか、いろいろな考えがあると思います。
法務大臣の哲学とか、100人を突破したからとか、そういう議論だからおかしいのです。

合法的に死刑が確定した犯人に対する死刑執行権限を遺族がオプションとして持つ。
憎い犯人に対する最高で最強の合法的オプションです。
とかく日本では遺族の人権の無さが取り沙汰されていますが、犯人を死刑にしても決して被害者は戻ってこない無念さを考えれば、多少なりとも遺族も気持ち的に救われるのではないでしょうか?

乱暴な持論ですが、何れ国家権力によって殺される死刑囚。
であれば密室で単に殺すのではなく、全員カンボジアに連れて行き地雷処理の作業に当たらせればいいのでは?
改心する死刑囚も多いと聞きます。
最後は日本を遠く離れ人々のために生きてもらう。
運がよければ死なないかも知れない。
うん。ちょっと乱暴ですね。
でも、私が死刑囚になったら立候補します。
ぷくぷく・・・。

         ■■■

まず、なぜ死刑が確定していながら執行されないかについて。
やはり死刑制度に対して批判的な考え方が世界の主流であること。
これを無視できない。
ヨーロッパではベラルーシを除いてすべて死刑が廃止されています。
中米もほぼ廃止で、南米では戦時の逃走、反逆罪以外での死刑を廃止しています。
ロシアでも1996年以来、死刑執行が停止状態です。
2007年に期限が切れるので、復活する可能性が少なからずあると私は見ていますが。
ではどういった国々で死刑が残存しているかというと、筆頭はやはり中国です。
死刑執行の90%以上が中国で行われています。
その次に多いのがイラン。
宗教上の罪で死刑になる場合が多いようです。
宗教上の理由といえば前の法相の杉浦正健氏は死刑執行命令書に一度もサインしませんでした。
真宗大谷派の信者だったからです。
そして安倍内閣で法相となった長勢甚遠。
2006年12月に署名し、2005年9月以来の死刑執行となったわけです。
アムネスティが死刑執行に反対する大きな理由は、良心の囚人(政治犯)の解放にあります。
冤罪の可能性が全くないとは言い切れないことも含め、政治犯ならずとも死刑執行はすべきでないと考えます。
凶悪事件が相次ぎ、被害者とその遺族の人権が軽んじられていることに対する不満はわかります。
しかし被害者や遺族の人権を尊重することを死刑執行に結びつけるのは、極めて危険で幼い考えと言えるでしょう。
人が人を裁くということにもっと謙虚になるべきです。

                                           飼い主


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コメント 10

めぎ

オウムの裁判で死刑判決が出たとき、え?日本には死刑制度がまだあるの?野蛮だ!とドイツでずいぶん言われたものです。どんな極悪人でも、その犯人を殺すことを法律で許しているのなら、その国家はその犯人と同じくらい極悪人である、と考えるのがヨーロッパです。これには、被害者の無念とかひどい罪とかっていう感情的な論理は通用しません。国家として殺すなんて、その国家や裁判制度を国民が支持しているなんて、野蛮だ!と言われると、すごく困りました・・・野蛮という言葉が適切かどうかはともかく、西洋との大きな違いを感じた経験です。
by めぎ (2007-02-22 06:15) 

リス太郎

めぎさんへ
野蛮と言われても仕方ないと思います。野蛮なんだから。
カニ助先生の言うこともわかるんだけどね。
by リス太郎 (2007-02-22 07:15) 

もん

日本はもともと「仇討ち」「姦通の死罪」が認められていた国ですからね。主君が妙にキレやすくて殿中抜刀したせいでリストラされたわっつーのに、部下が身を化かし、家族、我が身を捨ててまで首取りに行ったのを未だに美談扱いする国ですからね。成敗してくれる、死を持って償わせる、が最終裁きの中にないと救われない精神性なんじゃないかと。男女の泥沼劇でこんなに赤の他人の首絞めたり包丁刺したり、子供と無理心中するって、先進国でも非常に珍しいですよ。自分以外の人間の命を自分の感情枠や価値判断の中に置くことには他民族に類を見ず、躊躇いがないと常々感じています。(火病と世界の中心思想の国は置いといて←おっと、毒吐いてる)ただ、死刑囚であるという事実、明後日には刑執行されるかされぬかの年月って、米国的な懲役200年判決などよりも、「自分がしたことをされる」という現実はすごく大きなみせしめになっていると考える、私は死刑存続派です。今世で改心や更正の可能性があろうが、「あなたがしたことはなによ?」という現実は変わらない。反対に地雷撤去に駆り出すとなったら人道上・・と違和感を唱えるのがこの国なんじゃないかしら。
by もん (2007-02-22 12:10) 

リス太郎

もん・とれぞーさんへ
なるほど。興味深いコメントです。
ほんとは地雷撤去ぐらいやってほしいですけどね、冤罪でなければ。
by リス太郎 (2007-02-23 04:10) 

めぎ

うーん、仇討ちも姦通の死罪も、ヨーロッパにもあったんですけどねえ。日本特有のってワケじゃないと思うんですが。ヨーロッパは、日本顔負けの血生臭い歴史ですよ。ドイツだって、ゲッベルスが夫人と子供と無理心中しているし。
by めぎ (2007-02-23 05:26) 

リス太郎

めぎさんへ
なるほど。それもそうだ。
by リス太郎 (2007-02-23 07:27) 

もん

>冤罪でなければ
これを裁いているのも人間なのよね・・。
by もん (2007-02-23 12:09) 

リス太郎

もん・とれぞーさんへ
そうですね。人間は間違うもの。絶対な存在などありゃしない。
by リス太郎 (2007-02-24 08:39) 

もん

それでも裁く人や場がいなければ、遺族や残された感情や無念さは何処へ行けばいいの?「あなたたちの中で、一度も間違いを侵したことのない者だけが、この者に石を投げるがよい」とは、生身の人間は云えないです。死刑囚が処刑の前日まで懺悔を綴ったものや、冤罪で電気椅子に消えた黒人のドキュメンタリーなども幾つか触れてきました。でもそれとこれは同時線上で語ると危険です。私は非情でも、囚人に、「自分の行った殺害方法と同じ方法で処刑される」選択が被害者側にあって良いと考えるから。それを選ぶか否か、に人はまた苦悶するでしょうけれど。
by もん (2007-02-26 15:03) 

リス太郎

もん・とれぞーさんへ
わかる。
by リス太郎 (2007-02-26 23:00) 

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