SSブログ

戦後補償裁判を解説

あまり気が乗らないが書かないわけにいかない。
4月27日の一連の最高裁判決と書面決定である。
新聞各紙で大きく取り上げられているのでご存知かと思う。
第2次大戦中に日本が行った不法行為に対する中国人個人の補償請求裁判5件がことごとく退けられた。
まだまだ続々とある裁判は戦後の毒ガス兵器事故を除きほぼ完全に望みが絶たれた。
この日を日本人の「国恥記念日」として記憶に留めたいと思う。
詳しくは新聞記事を読んでもらうとして、簡潔に解説し私見を述べたいと思う。

4月27日、最高裁は2件の判決と3件の書面決定を下した。
概要は以下のとおりである。

① 西松建設強制連行事件
 劣悪な環境による強制労働により連行された360人のうち29人が終戦までに死亡。一審・広島地裁は時効(10年)を理由に請求を棄却。二審・広島高裁は「時効の主張は正義に反する」として西松建設に2750万円全額支払いを命令。そして今回の最高裁で原告は逆転敗訴となった。判決理由は「日中共同声明が日本と連合国が相互に賠償請求権を棄却したサンフランシスコ平和条約と同じ枠組みと理解される」との判断であった。

② 中国人慰安婦2次訴訟
 旧日本軍の慰安婦にされ性的暴行を受けた女性とその遺族が起こした訴訟。一・二審ともとも原告の請求は棄却。今回の最高裁では裁判官全員一致で請求を退けた。判決では二審・東京高裁の「日華平和条約で個人の賠償請求は放棄」を「日中共同声明で」に置き換え、「個人の賠償請求は認めない」との立場を踏襲した。

 ちなみに27日の判決を最高裁から原告弁護団に連絡があったのは19日。中国在住の原告は準備が間に合わず来日できなかった。特別に入国許可を出すぐらいのことが出来ないのだろうか。もちろん中国側の手続きもあるだろうが。原告の二人(一人は故人)は旧日本軍により連行、監禁、強姦された。一・二審ともこれを認定し、最高裁も事実認定自体は「適法に確定された」とわかりづらい日本語で認めた。当時お二人は15歳と13歳だったという。少なくとも私には理解できない。

③ 劉連仁氏強制連行事件
 強制連行後に逃亡し山中で悲惨な生活を強いられた劉連仁氏(死亡)の遺族が国に賠償請求した訴訟。一審・東京地裁は国が強制連行された人を戦後に保護する義務を怠ったとして国に2千万円の賠償を命令。しかし二審・東京高裁は不正行為から20年で賠償請求が消滅する除斥期間を適用、原告の請求を棄却した。最高裁はこれを書面にて決定。

④ 三井鉱山強制連行訴訟
 九州の炭鉱で過酷な労働を強いられたとして元中国人労働者ら19人が国や三井鉱山に賠償を求めた訴訟。一審・福岡地裁は強制連行への国の関与を認定。旧憲法下では国が賠償責任を負わない「国家無答責」の法理で賠償請求は退けたが、三井鉱山には約1億6千万円の賠償を命令。二審で逆転敗訴、上告。最高裁はこれを書面にて決定。

⑤ 中国人慰安婦1次訴訟
 元慰安婦の山西省の女性4人が国に賠償請求。一・二審とも「国家無答責」の法理を適用。原告の請求を棄却。最高裁はこれを書面にて決定。

■上記の記述は朝日新聞と日本経済新聞の記事を一部引用させていただいた。

4月27日付け日本経済新聞夕刊で、高乗正臣・平成国際大学院教授(憲法学)はこんな指摘をしている。
「平和条約を結べば個人も賠償請求権を放棄するというのは国際法上の常識」

強制連行に強制労働、暴行に拉致監禁に強制売春。
それでも国際法上の常識は曲がらんか。

私は北朝鮮による国内外の拉致被害者とその家族に対して申し訳ないから言ったり書いたりしない。
しかし結局、そういうことなのだ。
正論が正論として通らなくなる。
それが何故わからないのか。

私はつい先日、温家宝首相来日の記事の中で書いた記憶がある。
北朝鮮による拉致問題解決への協力問題につき、これを台湾問題との交換条件に使う中国のやり方に抗議すると。

しかし今回の日本の司法判決はそんな私の正論をガラガラと崩す。
今回のことが全て温家宝と安倍が密約済みであるならいざ知らず。
そうでないなら中国は拉致問題の解決に一切手を貸さないだろう。
あるいはより重大な代償を飲まされるかだ。
中国人の交渉術を甘く見てはいけない。

司法と行政は別だと言う人もいるだろう。
もちろん日本は三権分立の確立した社会である。
それは結構だ。
しかし逆に三権分立はほとんど機能していないように思うがどうだ。
司法、行政、立法、見事に足並みが揃っているではないか。
どこにチェック機能が働いている。
良識ある国民はみな同じ思いだと信じて疑わない。

最高裁の判決、決定はちぐはぐに見える部分もあるし、かなり苦し紛れだ。
しかし拠り所としているのは「個人の賠償請求は認めない」ことの根拠を1972年の日中共同声明に求めていることだ。
これにつき私見を述べさせていただきたい。

まず事実の確認だが、サンフランシスコ平和条約に中国や韓国は調印していない。
賠償金額は二国間で個別に決めねばならない。
今日は中国について話す。

日本は1952年に中華民国(台湾)との間で日華平和条約を締結した。
ここでは個人の賠償請求権も放棄することが謳われている。
しかし中国はひとつではない。
中国共産党は「ひとつの中国」と言っているが、ひとつではない。
中国にとって台湾は中国の一部であって代表権を認めていない。
そして日本はアメリカのお尻を追いかけて1972年に中国と日中共同声明に調印、国交を樹立した。
このとき日華平和条約は効力を失い、日本は中華民国と国交を断絶した。
私は中華民国側に同情したい気持ちも強いのだが、それはここでは割愛させていただく。

意見が分かれるのは日中共同声明の
「中華人民共和国は日中両国民の友好のため日本に対する戦争賠償の請求を放棄する」
という部分である。

これを国家としてだけでなく、「個人としての賠償請求も放棄したのかどうか」が争われている。
先に挙げた高乗教授の見解に異を唱えるのは既に述べたとおりである。
その他のいくつかの視点から考察したい。

中国の銭其深(正しくは王へん)外相(当時)は1995年、日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償だけだとの見解を明らかにした。
12年も前の話である。
小泉の時代が重く圧し掛かっている。
おかしいと思うなら執拗に抗議するとか粘り強く交渉しなければ駄目だ。 (おかしいとは思わないが)

国家間の賠償請求と個人の賠償請求を同一に論じることの方が不自然だと私は思う。
国際法の常識がどうであれ。
しかも何度も言って私も気分が悪いが、強制連行に強制労働、暴行に拉致監禁に強制売春である。
戦時とはいえ明らかな「個人への」犯罪であるのに、何の補償もなしで済むと思っているのか。

歴史に「もし」は禁句というが、小泉の時代がなければまた違っていたと思う。
もっと穏便に譲歩しあうことは決して不可能ではなかったはずだ。

それともうひとつ。
A級戦犯が合祀された靖国神社に参拝し続けた小泉の罪はあまりにも重い。
いくら謝罪しても嘘だと言われるのは一国の首相の誤った判断と一部閣僚の不用意な失言が原因である。
これでは日中共同声明は嘘だったのかと言われても反論できない。
であれば日中共同声明は無効ということになり、賠償請求権放棄も白紙撤回だ。
私が中国人ならその論理で議論するだろう。

私は仕事の関係でしょっちゅう中国へ行っていた。
貿易相手のお偉方から一般労働者まで、いろんな人と食事をしたり酒を飲んだりした。
たまに自宅へ晩飯を食いに来いと誘う奴もいた。
中国では自宅に客人を招きもてなすのは、どんな高級料理店で接待するより格上とする伝統がある。
酒がすすむと私が中国語をしゃべる安心感からだろうか、日本の戦争責任について議論をふっかける奴もいる。
愛国教育を受けた若い連中に多い。
年配の人たちも実は同じ思いなのだが、中国人は本来、そういった「わきまえ」を重視する国民性である。
ただし最近の若い人たちにそれは薄れつつある。

私は日本の誤りをひととおり認めた上で反撃に出る。
日本人の前では絶対に言わないようなことを言っていたりする。
そうしなければ私は袋だたきにされるかもしれない。
それは冗談だが、翌日からの商談にひびいたら大変である。
出来るかぎり日本の立場を正当化する。
最後に一同から拍手されたこともある。
誠意をもって対話することが大事なのである。
だから小泉の罪は重いと言える。

朝日新聞の記者が興味深い憶測を記事にしている。
最高裁の判決は「光華寮問題」と「戦後補償問題」を同時期に決着させることでバランスをとったのではないかと書いている。
日中政府間で裏取引がある可能性は低くない。
そこまで日本側が考えているのなら、それはそれで心強くもある。
しかしやはり被害者やその遺族の心情を考えてほしい。
いずれにしても北朝鮮による拉致問題の解決が難しくなったのは間違いない。

アメリカで慰安婦問題に関わる自分の発言を謝罪した安倍晋三。
いま彼は何を考えているのだろうか。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0