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第19回歴懇芸能部落語会 後半 落語と時代考証

私の『代書屋』は職歴の場面で自作のネタをいくつかくっつけました。
この部分についての著作権は私にあるわけですが、誰でも自由にパクってかまいません。
ただ、『動物園』という落語のあらすじを利用している部分があり、この落語の作者は二代目桂文之助という人です。(イギリスの笑い話をヒントに創作したらしい)

著作権から離れよ。
これ以上自炊業者の話したら神保町あたりで刺されるかもしれん。

古典落語をやる上で大事なのは時代考証です。
江戸時代の話に電話やタクシーが出てきたらおかしい。
私の敬愛する米朝師匠などは特に厳しいようで、言葉ひとつにもダメだしが出るそうです。
ただ私たちが日常使ってる日本語はかなりの部分が明治以降の言葉だし判断が難しい。
私はアマチュアにしてはけっこう気を付けているほうだと思います。

なぜ時代考証が大事なのか。
これは私の考えですが、古典落語のファンって、雰囲気が好きなんです。
ちょんまげ結ってる江戸時代の話だと思えば無責任に聴けるし。
会社の嫌な上司を思い出す要素も少ない。
現代人にとって古典落語はファンタジーなのかもしれません。

私はそこんとこを大事にする一方で、目の前のお客さん第一主義です。
大阪の古い言葉を大事にしたい気持ちは強いのですが、最近は通じにくい可能性のある言葉はすべて標準語に置き換えています。
いつも落語会のあと一人で反省するんですが、言葉がストレートに響かないために笑いが起きなかったと分析できるケースが多い。

落研の先輩である鶴瓶師匠は若手のころ高座で古典落語に暴走族を登場させ審査員の一人だった六代目松鶴師に赤っ恥をかかせ大目玉を食ったことがあるそうです。
ただ、松鶴師匠は二人きりになってから「お前が一番おもろかった」と言ってくれたそうです。

私も今回、職歴にタクシーの運転手を入れました。
そもそも落語は洒落なので、ギャグだとわかる時代錯誤は問題ないどころか奨励してもいいぐらいだと思います。
もちろんあくまでもお客さんがどう思うかですが。

落語『代書屋』の本来の時代設定は終戦前、昭和10年代です。
渡航証明を求める朝鮮人が代書屋を訪ねるくだりがあり、今はもう誰もやってないと思っていたのですが、芸能部のお仲間の情報では文我師匠が復活させているそうです。
四代目米團治師の口演速記は『上方はなし』第46集に掲載されているそうですので、かっぱ横丁の古本屋あたりで探してみてください。

私は昭和20年代後半ぐらいを設定して話を組み立てました。
本当は「行政書士」という名称がまだない時代にしたかったのですが、本番3日前に「女郎買い」を「ストリップ」に変更したため、無視できない違和感を感じ戦後の話にしました。
同時に「親父が死んで10年」を「20年」にし、客のボケボケ感を強調できました。
ちなみに客の名前は「片岡鹿蔵」で、これはよめはんの母方の祖父の本名です。(遺族了解済み)

酔平版『代書屋』は細かい部分でも新しい工夫をこらしています。
本籍を聞かれ「風呂屋の向かい」とどうでもいいことを言う片岡鹿蔵に、代書屋が「風呂屋はどうでもよろしいねん」と突っ込む。
その後いきなり代書屋に名前をたずねさせ、片岡鹿蔵は「日の出湯」と答える。
「誰が風呂屋の名前を聞いてまんねん」と代書屋。

本当は本籍のあと現住所を聞かねばならないのですが、迷った末にカットしました。
片岡鹿蔵のボケへの導線が弱くなるので。

「女郎買い」を「ストリップ」に変えたのは現代人に通じにくいからですが、ストリップの場所を浅草にしました。
「あんさんストリップ見るんにわざわざ東京まで行ったんでっか」という突っ込みで笑いを増幅する算段。
ここは終盤の大きな山場で代書屋がついにあきれ返り半ギレ状態になる場面ですが、カミカミで目も当てられませんでした。
春團治師匠のような絶妙な間はちょっとやそっとの年季では土台無理です。

一番受けたのは上野湯島の出版社に勤めていたというくだり。
笑いが大きいので十分に間合いを取って「天気のいい日は梓会のビルの前まで行ってビラ配り」とやったのですが、急にしらけた空気。
実は梓会発行の「出版ダイジェスト」が廃刊になったばかりで、会場にもおられる編集部の方々は失業状態。
私はこのニュースを直前に知らされたのですが、そのままやってしまった。

まだまだ青いですわ。

酔平版『代書屋』は近日中に口演録をアップします。
乞うご期待。

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