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私の躁うつ病闘病記 幼少期から発症まで

うつ病に苦しむ人が多いようです。
うつは心の風邪と言われるように、誰もがかかりうる病気です。
しかしながら、こじらすと治療は困難で、日常生活に支障をきたします。
私は今から12年近く前にうつ病を発症し、躁うつ病となり、壮絶な闘病生活を経験しました。
当ブログにおいても、うつ病に苦しむ人にエールを送る記事を書いてきました。
もん・とれぞー女史より、私の闘病記がそういった人たちの参考にならないかとの提案をいただき、記事にしたいと思います。
「うそ、大げさ、まぎらわしい」記述を自分に戒めながら、書き進めたいと思います。

今から思えばうつ病の根っこというのは幼少期からあった気がします。
私は小学校低学年までどうしようもない「いじめられっこ」でした。
高学年になると「おもろいやつ」に進化し、中学ではケンカばかりしてました。
でも常に心に影があったというか、ふとした瞬間にどんよりした空虚感に襲われることがありました。
この原因は幼少期の両親の不仲にあると考えています。
私の弟は今、横浜で小さな会社を経営していますが、彼は一時期、精神病で苦しんでいました。

この憂鬱な気分はなにか。
それを知るのが怖く、太宰治は一切読んでいません。
何かとんでもない事実がこの世にはある。
漠然とした不安、憂鬱は、そんなところから来ているようです。

そんなナイーブな自分とは裏腹に、豪胆な自分というイメージを作っていきます。
高校時代は柔道に明け暮れ、お笑いを目指したりして頑張ってきました。
今に至るまで、私を表面的にしか知らない人たちは、私の作られた一面しか知りません。
でも、うちのよめはんを始め、私を深く知る人たちは、私の本質的な弱い部分をよく知っています。
人間は誰しも弱い部分を持っているわけですが、私がその弱さをどう克服してきたか、お話したいと思います。
もちろん完全に克服するということは不可能に近いかもしれないのですが。

1994年の10月によめはんと結婚しました。
正月が明けた1995年1月17日早朝、阪神淡路大震災。
神戸から両親と弟が逃げてきたり、神戸で被災した会社の仲間を援助したり、壊滅した神戸港の影響による納期遅れのクレーム処理に走り回ったり、通夜や葬式に頻繁に出向いたり、忙しい日々が過ぎていきました。

金もないし仕事も忙しいのでと半年後を考えていた新婚旅行。
当時の関西では海外へ遊びに行くなど、不謹慎きわまりない話でした。
特に私は神戸の育ちですから、体育館や公園で寝起きしている被災者を思うと申し訳ない気持ちが強かったのです。
しかし一生に一度のことなんだからと、周囲の人たちもすすめてくれるので、フランスへ行くことにしました。
とても楽しい旅行だったのを覚えています。

結婚してからというもの、私は張り切って仕事に打ち込みました。
日曜日だけはできるだけ休み、よめはんを奈良や京都へ遊びに連れて行きましたが、平日は早朝から終電まで仕事してました。
本来、休日である土曜日も同じでした。
また、週の半分は岐阜で生活していました。

岐阜へは出張とはいえ、得意先への出向に近い部分がありました。
商権を守るための労働力提供。
冗談半分に「人質」と言う人もいました。
大阪という岐阜から遠方にいる業者への要求に誰が応えるか。
会議の席上で私は志願しました。

岐阜県関市は私にとって思い出深い土地です。
いろんな意味で私の基礎を作ってくれた場所だと思います。
当時の得意先の人たちは私にとって間違いなく仲間でした。
今も温かい年賀状が来ます。

岐阜へ行く目的は情報を早く入手すること。
そして受注すること。
手配を迅速にすること。
なのですが他にもあります。

研修生や実習生として中国から来た若い人たちと肉体労働に従事します。
これは私が自発的にやっていたのですが、手の空いている時間はシャツ一枚になって現場を手伝いました。
直しとかも率先して手伝いました。
中国から大量に輸入してきた服は直しや「化粧」をしなければ出荷できません。
下げ札などをつける作業もあります。
私の会社は副資材を扱っていたのですが、アイロン片手に完成品をいじっていると勉強になりました。

8月の終わりでしょうか、残暑の厳しい頃だと思います。
日曜日の昼すぎに大阪へ帰って来ました。
溶けそうなアスファルトを踏みながら馬鹿でかいカバンを肩からふたつ提げる。
ノートパソコンなんてないですから、カバンの中身はサンプルだけでなく資料がびっしり。
他にも中国に送る織ネームや支給ボタンなどを持ち帰る。

頭には当時4件かかえていた金銭クレーム。
たかだか数百万規模のクレームですが、個人にのしかかると辛い。
会社というのは法人ですから、こういったクレームは会社対会社で処理するのが普通です。
それを従業員である個人に補償さすことは許されません。
しかし個人が板ばさみになるということはよくあります。
商売がなくなるのは許さない、金銭クレームにも応じられない。
どちらに転んでも一担当者だけに責任を押し付けられる。

メーカーを巻き込んでいろいろやるわけですが、私の会社だけ「会社」が出てこない。
営業担当者という「個人商店」の集まりが「会社」なのです。
経理上、不正な方法で会社に内緒で処理するわけですが、金額が膨らむとごまかしきれない。
今の私なら社長室に乗り込んで直談判するでしょう。
当時の私はそんなつまらないことで悩んでいたのです。

溶けそうなアスファルトの上を歩きながら、よめはんの待つ老朽マンションが近づいてくるのを眺めていました。
「もうあかん。やめようや」
めったなことでは弱音を吐かないのですが、そのとき心底、そう思ったんです。

(つづく)


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コメント 10

カノン

別の自分を作り出すというのは私も幼少の頃からだったと思います。
それが後に自分自身を苦しめるんですけどね・・・。
by カノン (2007-05-03 12:57) 

リス太郎

カノンさんへ
う~ん、苦しめちゃうか。そう、確かに苦しめられるんだけどね。でも大事なのはその次だと思います。

あの山を 越えたむこうの その山を
思いてひるむ 我をむち打つ
by リス太郎 (2007-05-03 13:09) 

もん

蝉の啼き声が響いて、汗の質感が伝わってきそうな描写だな。
続編を首をろくろにしてお待ちしております。

>ナイーブな自分とは裏腹に、豪胆な自分というイメージを作って
よ~く分かります。
by もん (2007-05-03 13:48) 

めぎ

>ナイーブな自分とは裏腹に、豪胆な自分というイメージを作って
とても共感します。

この山を ようやく越えた 喜びを
すぐに打ち消す そこにある山
by めぎ (2007-05-03 15:07) 

リス太郎

もんちゃんへ
乞うご期待。
by リス太郎 (2007-05-03 21:23) 

リス太郎

めぎさんへ
そこにある 山をうごかす 土井たか子
憲法の日に 護憲を誓う
by リス太郎 (2007-05-03 21:27) 

リス太郎

ゆゆちゃん、おおきに。
なんかしゃべってや。
by リス太郎 (2007-05-03 21:29) 

ゆゆ

続きが読みたい。
by ゆゆ (2007-05-04 09:14) 

リス太郎

ちょっと待ってね。順番あるさかい。
by リス太郎 (2007-05-05 06:51) 

リス太郎

おっと、ナイスが増えちょる。
せーらーむふ~んさん、yutakami 先生、有難うございます。
さて、続きを書くとします。
by リス太郎 (2007-05-05 13:29) 

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