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もう一度問いたい ブルドック防衛策は本当に妥当か

スティール・パートナーズがブルドックソース株に対して実施したTOBが8月23日に終了した。
スティールは応募株式が発行済み株式の1.89%にとどまったと発表した。
大部分の株主がブルドックの買収防衛策を支持したのだから、当然の結果とも言える。
スティールは今回応募のあった株式はすべて取得し、持ち株比率は4.44%になる。
その一方、ブルドックの08年3月期決算は赤字が必至であり、株主代表訴訟に発展する恐れも指摘されている。

海外の投資家は一様に、この「日本」という国の「特殊性」を奇異の眼差しで見ていることだろう。
日本は世界で初めて買収防衛策が発動され、最高裁も認めた唯一の国となった。
私に言わせれば資本主義の原理原則が通用しない「会社社会主義」の国である。

ブルドックはなにをそこまでスティールのTOBを恐れる必要があったのか。
以前の記事でも書いたが、スティールに濫用的買収の実績はほとんどない。
しかも買収防衛策に株主の8割以上が賛成する状態であれば、変な話だが買収防衛策など発動する必要性はないのである。
ブルドックがスティールに支払う対価は21億円、アドバイザーには7億円弱を支払うことになる。
そこまで大量出血してまでブルドックが守ろうとしたものはなんだったのか。

日本経済新聞が調査会社マクロミルを通じて行ったネット調査によると、「最高裁がスティールの抗告を棄却し、ブルドックによる買収防衛策の発動を認めたことをどう思う?」という質問に対し、「妥当だ」が38%、「積極的には賛成できないが、今回はやむを得ない」が29%、「わからない」が26%、「おかしい」はたったの7%だった。

非常に大きなズレを感じる。
回答者は全員、上場企業の経営者か。
健全な資本主義経済がどうあるべきかを考えた場合、社会人としてあまりにお粗末な認識と言わざるを得ない。

29%の人たちに聞きたいのだが、「今回はやむを得ない」なら、どういう場合なら「やむを得る」のか。
濫用的であることがいけないというのなら、何をもってスティールを「濫用的」と断定できるのか。
仮に濫用的であったとしても、それを排除することの問題性に考えが及ばないのか。

東京高裁が示した「濫用的」の定義については、以前の記事で書いた。
次の4類型を挙げている。

①経営参加の意思がなく、高値で株式を会社関係者に引き取らせる (グリーンメーラー)
②経営に必要な知的財産、企業秘密、取引先などを買収者に移譲させる (焦土化経営)
③会社資産を、買収者の債務の担保や弁済原資に流用する
④不動産、有価証券などの資産を処分した利益で配当を高くし、株価を高くして売り抜ける

これらはどれもスティールがそうだとは「言い難い」のだが、東京高裁は「濫用的」と認定した。 (最高裁は断定を避けている)
これら4つを「悪いこと」と考えるところに、日本人の歪んだ思考が見える。
その価値観は日本の島の中では通用しても、世界を相手にした場合、絶対に通用しない。
国際社会で活躍するビジネスパーソンは実感しているはずだが、それを口に出して言うのがはばかられる風土が日本にはある。
それをよしとする人もいるだろうが、いつまでもちょんまげを乗せて歩いているわけにはいかないのである。


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