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今後、差別と偏見あるコメントは徹底的に糾弾する

日本が戦時中に行った犯罪に対し、鈍感な日本人が増えている。
被害者や遺族の心を踏みにじる発言に対し、面白半分であれ同調することは断じて許せない。
たとえその意図することが違うとしても、私はその人の人格を疑う。
早急に取るべき処置を取られるよう、重ねて強く要求する。
それが出来ないなら、二度と当ブログに来ないでいただきたい。

人権は大切にしなければならないと多くの人が思っている。
しかし人権とは何か、人権を大切にするとはどういうことか、なぜそうしなければならないのか、多くの人がわかっていない。
それは戦後補償や死刑問題、あるいは少年法といった話をするとすぐわかる。

人権は大切だと言いながら、およそかけ離れた言動を平気でする。
人権についてつきつめて考えたことがないため、基本動作ができていない。
人権に対する考えが甘いというか、無知なのである。

そういう人にかぎって、自分とその身内に対する人権侵害にのみ敏感で、他人のそれに対しては無神経だ。
人権を大切にするということは、他人の権利を尊重することだと私は思う。
他人の痛みのわからない人に、人権の大切さなど説いても無駄かもしれない。
従軍慰安婦やその遺族に対し、国が補償を拒むことに同調するような人は、人権の何たるか全く理解できていないと言える。

無論、そういう人の人権も尊重されねばならず、人権を侵害していることをもってその人の人権を否定することはできない。
しかしそういう人たちは、自分で自分の人権を否定しているわけで、自らの人権を放棄しようとしているに他ならない。

差別というものは相手が差別と感じることにより差別となる。
差別ではなく区別だと言う人をテレビなどでもよく見かける。
それはお前が決めることではないということだ。

平和条約を締結しても個人による国家賠償請求権は生きている。
平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、東京裁判には同意できない。
しかし国家が個人に対して行った強制労働、強制売春、虐殺といった普遍的人道上の罪に対し、補償せずにすむことなど決して許してはならない。
何十年前であろうが、何百年前であろうが、戦争犯罪に対する償いは、今、生きている人の責任であり、子々孫々まで免れることはできない。

今まで私は甘すぎたと思う。
何度も目をつぶってきたのだが、それはやはり問題だと思う。
今後は少しでも差別、偏見を感じ取るコメントには、徹底的な批判を加えたい。


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