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南京大虐殺から70年

今から70年前、1937年12月13日、日本軍は中華民国の首都・南京を陥落した。
日本全土は提灯行列に沸きかえり、陸軍大将の松井石根(いわね)は「英雄」となった。
日本軍による一般市民の虐殺は、南京以前にも盧溝橋などでも起きていた。
しかし南京陥落後、数週間の日本軍将校、兵士の行いは、規模においてはるかに上回っていた。
松井という厳格な指導者の下でも、集団というのは暴走すると止まらないのである。

南京大虐殺を知らない若い読者のために説明したい。
岩波ジュニア新書181『中国を知る』より、田畑光永氏の記述を抜粋する。

 この南京攻略戦の後の数十日間、日本軍は民族の恥とも言うべき「南京大虐殺」をやってのけた。敗残兵、捕虜から難民、一般市民、男も女も大人も子どもも赤ん坊も、射殺されたり、銃剣で刺し殺されたり、軍刀で斬り殺されたりした。女性は子どもから老婆まで数多く強姦された。戦後の極東国際軍事裁判の判決によれば、この虐殺によって、非戦闘員1万2000、敗残兵2万、捕虜3万が市内で殺され、さらに近郊に避難していた市民5万7000、合計11万9000人が殺されたとしている。

田畑氏はこの数字を「目安にすぎない」としている。
もっと多かったかもしれないし、少なかったかもしれない。
諸説あることを述べた上、しかし「大虐殺」であったことは間違いないとしている。

虐殺の犠牲者が何万人だったのか、それは資料に基づいた歴史家の研究に任せるしかない。
史実研究の専門家でない者がとやかく言うことではないと思う。

中国では「30万人以上」というのが一般的な通説になっている。
多くの証言をもとに推測した数字だが、それを裏付ける決定的証拠があるわけではない。

松井石根の私設秘書だった田中正明という人が、『“南京虐殺”の虚構』という本を1984年に出版した。
この本に「当時20万人しかいなかった南京でどうして30万人が殺せるのか」という意味の記述がある。
田中の言う「人口20万」は何の根拠もないのだが、多くの日本人がそのまま信じた。

1935年に城区・郊外あわせて100万人を突破した南京だが、その後、人口は減少。
南京陥落時には50-60万人ぐらいであったとされている。
20年以上も前に書かれた誤った「古典」をいまだに信じている人が多いのは笑える。

『南京の真実』という映画が製作されている。
自民や民主の国会議員や都知事が賛同している。
英語版や中国語版も作るんだとか。

若い人に言いたい。
何が正しいのか、何を信じるのか、判断する目を養わねばならない。
自分の「軸」を太くして、流されないようにしなければならない。


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