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リアリティーを重視する上方落語 [大衆芸能]

芸能会は次の土曜日。
いつでも演れる準備はできているのですが、まだまだ納得できない。
当日はお客さんに心から笑い楽しんでいただきたい。
いまだにああでもないこうでもないとネタをいじくりまわしています。

つくるためにはこわさなあかん。
ただ、古典というのはえらいもんで、こわしてるつもりでも気がついたら元に戻ってる。
長い年月をかけて多くの先人が工夫をかさねてきたものはこわしにくい。
十分かつ無駄がないというか、下手にこわすと支障がでる。

マサはんのところへ飛び込んできたアホな男。
しばらく堺へ仕事に行っていて久しぶりに大阪へ戻ってきたという。
それが言いたいがために「堺をひっくり返してカイサや」とかくだらないことを言わす。

早い時期からこのくだりは省いて演っていたのですが、ふと不自然に気がつきました。
新しく出来た講釈場はマサはんの家から「辻をぐるりとまわった」すぐそば。
そんな近所に出来た講釈場をアホが知らなかったことの不自然。
その不自然を解消するために「堺をひっくり返してカイサ」とか「仕事を節約してゴト」とかいうくだりがあるわけです。

他にもっと面白いくすぐり(ギャグ)はないかと考えたのですが思いつかない。
仕方がないのでアホのセリフの中に「久しぶりに大阪へ戻ってきた」という言葉を挟み込むことにしました。

最近は落語に関する本を読むことが多いのですが、米朝師匠や随筆家の江國滋氏の著述には目からウロコの落ちる話が多いです。
高校生ぐらいのころ読んでいるものも多いのですが、20年以上経っても実に新鮮です。

米朝師によると上方落語の特徴のひとつに「理屈っぽさ」があるんだそうです。
『貧乏花見』という上方ネタは東京では『長屋の花見』ですが、上方の導入部分が東京では省略されている。
降り続いた雨が朝方にやんでしまい晴れ間が出てきた。
「こんなええ天気になるんやったら仕事へ行ったらよかった」という話から、長屋の仕事に出損なった連中で花見をしようということになる。
貧乏長屋で仕事を休んでまで花見という悠長なことをする不自然さをここで解消しているわけです。

東京の演じ方は大家さんが長屋の連中に花見をしようと呼びかける。
今のお客さんには別に不自然でもなんでもないわけで別にかまわないのですが、そんなところに上方落語の「こだわり」を感じます。

米朝師は大阪と東京の家主の違いについて面白いことを言っています。

「大阪の家主はもっと大家で、長屋のいちばん端の家に住んでたりはしませんからね。ほんとの家主は船場の富豪であったりして、そこの手代が家賃集めにきたりするようなことで、そんなところにとても出てこないし――。“きょうはみんなそろうて花見に行くのや”と家主が言うたら、“日当なんぼ出す?”と言いかねん手合いですわな」 (桂米朝集成【第一巻】 岩波書店発行 国文学者・越智治雄氏との昭和48年3月における対談より)

東京落語では、「無駄」をそぎ落とす、蒸留してエッセンスのみを残す演り方が好まれているような気がします。
その結果、不自然さが生じても、「どうせホラ話なんだからいいじゃねえか」という考え方もわかります。
しかし私は、荒唐無稽な話だからこそリアリティーにこだわりたいと思う。
噺の進行に不自然さがあると、聴く人に「ひっかかり」を持たせてしまう。
なんでもないようなことですが、実はとても重要なことのように思います。

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リス太郎

namako さんへ
ナイス有難うございます。
by リス太郎 (2008-03-02 15:50) 

リス太郎

ゆゆちゃんへ
ナイス有難う。
by リス太郎 (2008-03-02 22:14) 

mompeli

上方はお客さんもリスさんみたいな人が多いんでしょうね(笑)
by mompeli (2008-03-04 08:57) 

リス太郎

ぺりさんへ
客層の違いはあるかもね。私は東京の寄席に行ったことがないので、近いうちに是非行ってみたいと思ってます。大阪にできた定席、天満天神繁昌亭も行きたくてしゃあない。
by リス太郎 (2008-03-07 06:30) 

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