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宮城県沿岸部視察報告 新しい日本は東北から始まる

夜行バス2泊、格安ビジホ3泊の、5泊4日の旅から戻りました。
お盆に帰省され変わり果てた故郷に固まってしまった人も多いと思います。
「がんばろう日本」ではなく「がんばろう東北」、「がんばろう東日本」。
「がんばろう日本」と言った時点で問題がすり替わっている。

8月16日(火)午前、気仙沼市役所災害対策本部訪問。
 現在、気仙沼に来られるのはボランティアと報道のみ。観光客を誘致できる状態でない。景観が損なわれているため。

―― 気仙沼港周辺視察 ――
 港周辺は壊滅状態。焦土のよう。一部残った建造物も1階部分がつぶれたりしている。住民に話を聞くと助かったのは高台に住んでいた人がほとんどとのこと。
 港湾から300メートルほど離れた地域は木造家屋が大規模半壊。蜘蛛の巣が張った状態。これは気仙沼以外の被災地でもよく見受けられる。安否をたずねる張り紙も見かける。

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そんな中、1軒の喫茶店が気丈にも営業しており、立ち寄った。
写真はその店内のもので、広島県尾道市の小学生からのもの。

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写真は撮っていないが尾道市の保育園児からのものも飾られていた。

翌日8月17日付けの河北新報で紹介されていた。

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観光客を呼び込まねばならない。
景観は破壊されているが海の幸、山の幸など、観光資源は無限だと思う。

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―― 気仙沼小学校の避難所を訪問 ――
 テレビカメラが取材に。体育館を避難所として使用。仕切り板で区切り20世帯ほどが生活。女性用の着替えなどは体育館の中にキャンプ用テントを張り対応。
 運営事務管理者に面会。自身も被災し家族とここで暮らしている。ここは役場からも近くボランティアの助けもあり行政手続きに不便はない。ただし自宅に居住し続ける被災者や役場から遠い地区に住む被災者は不便を感じているはずとのこと。

―― 気仙沼市本吉地区(旧本吉町)の現状 ――
 バスで本吉まで行きタクシーで南三陸町に向かった。本吉は2年前に気仙沼市に編入された。
タクシーの運転士の話では防風林として海岸沿いに植えていた松の木が津波で根こそぎ流され家屋をなぎ倒しながら高架鉄道も破壊した。気仙沼線は気仙沼-柳津間が復旧の目途立たずとなっているが、車窓から見る限り震災以来放置状態に見える。高架鉄道は完全に崩落している個所もあり、鉄道再開は数年かかると思われる。そのタクシー会社も1階部分が2メートル浸水し、あわてて2階へ避難しなんとか助かった。車はほとんど被災し一般車を手配してタクシーとして使っている。客は報道陣が中心。ボランティアは無料バスを利用。スクールバスの運行で何とか経営している。
 タクシーの運転士の話で興味深いのは、津波情報が正しく伝わらなかった可能性があるという話。生き延びた本吉地区の住民の多くは目の前に津波が来てあわてて逃げ出したという。平成大合併の弊害か。

気仙沼から南三陸までの車窓から見た光景は一生忘れないと思う。
16年前の神戸も忘れられないが、全く異質なものに思えた。

8月16日(火)午後、南三陸町仮役場訪問。
 南三陸町の現状については全統一労働組合の鳥井一平書記長から詳細に聞いていたが、百聞は一見に如かず。役場はベイアリーナの駐車場を借りた仮設のプレハブ。周辺にはキャンプ用のテントを張ってボランティアの方が泊まりがけで活動されている。

―― 南三陸町の現状 ――
 仮役場から柳津に向かうバスを待つ間、地元住民から情報を入手。町の中心部は壊滅状態で液状化がひどい。建築制限もあり足を踏み入れる人は限られる。その後バスの車窓から見ることになるが、車両や船舶、瓦礫や廃材、タイヤなど、所々に山のように積み上げられ、あたり一面何もない状態で液状化による水たまりがあちこちにできている(写真)。
 また、住民の話では気仙沼は火災による被害が甚大。津波に油が混じり引火。火の海が町を焼いたという。岐阜からボランティアで来たという70歳の男性の話では、南三陸町の様子は6月に来た時とほとんど変わっていないとのこと。

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8月17日(水)午前、石巻市役所復興対策室訪問。
 石巻は駅周辺を見る限り気仙沼や本吉、南三陸と比べると通常の暮らしを取り戻している感がある。その辺をお聞きすると、市南部の沿岸部は海抜ゼロメートル地帯で、津波の後もじわじわと浸水し1ヶ月以上水が引かなかったらしい。今も厳しい状態にある。

8月17日(水)午後、塩竈市役所市民総務部訪問。
 塩竈市は離島が多い。職員の方は離島へも頻繁に足を運んでおられ多忙の上にも多忙。

8月17日(水)午後、多賀城市役所訪問。
 復興局を訪ねるが職員は全員出払っており不在。

―― 仙台市若林区藤田地区を視察 ――
 仙台駅前発着バスの最終駅。浸水の波打ち際。田園地帯が雑草地帯となっている。車やトラクター、コンテナ、流木、生活用品などがところどころに散乱。家屋損壊激しい。このあたりはぎりぎりで浸水した家屋は人が住んでいる。海側へ歩くと廃屋と化した住居が目立つ。

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8月18日(木)午前、仙台市役所震災復興本部訪問。
 貴重な助言をいただく。再提案の基礎としたい。

8月18日(木)午前、宮城県庁地域復興支援課訪問。
 総括的な協力とアドバイスを求める。

その後、青葉・宮城野・若林・太白の各区役所区民生活課を自転車でまわる。
泉区に行けず申し訳ない。
どの区役所も罹災証明を求める区民らで混雑していた。

この日は朝から小雨で、予報では雨が激しくなるとのことだったが、空と相談してレンタサイクルを強行。
雨がやむと急に涼しくなり名取まで快適に走った。

8月18日(木)夕刻、名取市役所防災安全課と名取市商工会を訪問。
 名取市は岩沼市との境界に仙台空港がある市。岩沼市や亘理町、山元町と同様、沿岸部は津波の被害が甚大。

―― 仙台市若林区沿岸部を縦断する幹線道路を視察 ――
 帰路、自転車で塩竈亘理線を走る。田畑は広大な草原となり船舶や車両が見え隠れする。陥没した地盤が池になっている。住民と工事車両以外立ち入り禁止道路では路肩が崩れ落ちたりしている。

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名取インター付近

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閖上大橋北詰より北西(仙台市街地方面)を臨む

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ラーメン屋さん

立ち入り禁止道路に自己責任で立ち入った。
陥没した窪地に水がたまり池となっている。

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立ち入り禁止の理由

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このまままっすぐ行けば仙台市宮城野区の港湾工業地帯につながる。
8月17日付けの河北新報一面トップでは「労災遺族申請1000件超」という見出しが打たれた。

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宮城労働局の調べによると震災以来の労災申請は1253件とのこと。
うち遺族による補償の給付申請は1005件。
死亡が確認はされたのは926件。
79件は行方不明のままの申請。

自転車を返す時間に間に合わないので途中で進路を西に取り、草原の中の小道を走った。

不思議な光景であった。
幻想的という言葉を使っていいのか。
幻想的なんだけど現実。

草原のなかに浮かぶ車両と船舶。
ある車には長い棒が立てられ日の丸がはためく。
忘れてくれるなと主張するかのように。

本来であれば土地の所有者が車の所有者に対し所有権に基づく妨害排除請求をすべきところ。
しかしどちらも亡くなられている可能性が高い。
相続人?

夕闇の迫る小道を走りながらいたたまれない気持ちになった。
思わず自転車を止め黙祷した。

新しい日本は東北から始まる。
そうでなければ犠牲者に対し申し訳が立たない。
行政書士として何ができるのか、何をすべきなのか、これからも問い続けていきます。

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コメント 2

ゆゆ

ご苦労様でした。
これからも被災地の方たちのために支援してあげてください。
by ゆゆ (2011-08-22 08:59) 

リス太郎

ゆゆちゃんへ
宮城県知事はいいこと言ってるよね。勇気あると思う。復興債に賛成か反対かという部分以外(私は賛成)、基本的に賛成です。
by リス太郎 (2011-08-23 09:53) 

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